見るも無残に焼け爛れた顔をしたベシアナとその両親に出会い、この子の顔を何とかしてほしいと頼まれたときに、思い出したことがありました。それは今から20年近くも前に私が出会った水頭症の子供のことでした。
そのころの私は、タイとカンボジアの国境沿いにいた37万人のカンボジア難民・避難民への人道支援の仕事をしていました。ある避難民キャンプの中を見てまわっていたとき、たまたま入った家の中で母親が赤ん坊を抱いていました。その子の頭は異常に大きくなっていて、素人ながらも水頭症だとすぐにわかりました。母親は、私に対してこの子を助けてほしいと訴えてきました。私は、キャンプを運営している国連のドクターを呼びました。やがて駆けつけてきたビルマ人のドクターは、「この子のことは承知しているが、どうしようもない。この子をバンコクの総合病院まで連れて行って治療を受けさせれば助かるかもしれないが、そのためには莫大な費用がかかる。その同じ費用で、このキャンプにいる数百人の子供たちに基本的な治療薬を提供することができる。この水頭症の子供一人を救うために、今ある予算を使ってしまえば、他の子供たちが下痢やマラリアなどにかかったときに治療薬がなく、結果として命を落とすことになるかもしれない」というのです。人道援助において、限られた予算をどう使うべきかは、とても難しい判断です。すべての人に世界で最高の治療を提供できれば、それがよいに決まっています。しかしそれが不可能であることも事実です。ですから、国連では、はじめから治療方針を決めてあります。それぞれのドクターや職員が、個々のケースで判断に苦しまなくてもよいようにとの配慮でもあります。値段も安く大勢の人がかかりやすい病気の治療薬が基本薬として定められ、その確保が最優先となります。
治療は難民キャンプの中にある国連の病院で行われます。その次に、国連の病院では設備等がないために治療できないが、近くの町の病院であれば治療できる病気は、予算の枠内で行います。しかし、国連がすること、できることはそこまでであって、この水頭症の子供のようにバンコクまで連れて行けば、治療ができるとわかっていても、そうすることはできないのです。当時の私は、この子一人を救うために数百人の他の子供の命を危険にさらすことはできないとドクターに言われ、返す言葉もなく、その場を立ち去りました。そして、国連が行う人道支援の限界を知ったのです。国連といえども万能ではないし、国連だからこそ全体を見た支援をせざるを得ず、その過程で、意図的に見捨てざるを得ない個人もでてくるのです。ベシアナもまたそのケースでした。彼女の顔の傷がどれほどひどくても、それ自体が命にかかわるものでない以上、国連は、たった一人の2歳の女の子のために大金を使うことはできないのです。しかし、こんな顔をした子どもが歩まなければならない人生を考えると、私は、国連ができなくても、個人としてできる限りのことをしてあげたいと考えたのです。そして、アドラ・ジャパンという日本のNGOとコソボで働いていた日本人に支援をお願いすることにしたのです。
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