今回からベシアナちゃんについて書きます。ベシアナちゃんのことは何度も報道されていますから、既にご存知の方もいらっしゃると思います。日本でもインターネットの検索サイトで「ベシアナ」と検索すれば、「ベシアナちゃんを助ける会」がトップに表示されます。このサイトに今年の2月22日の朝日新聞に載った彼女の写真つき記事も出ています。ですから以下は、このサイトに出ていることと重複するかもしれませんが、ベシアナちゃんに会った最初の日本人として、感じたことなど書いてみたいと思います。
私が初めてベシアナちゃんに会ったのは、確か1999年9月のころでした。私が市役所で執務をしていると、スタッフの一人が小さな子供を抱えた夫婦が面会を求めてきているというのです。そこで早速、廊下まで迎えに出ると若い女性が毛布にくるまれた子供を抱いて待っていました。隣に父親と思われる若い男性も付き添っていました。近づいてその子供を見た瞬間、思わず息を呑みました。見るも無残な顔をしていたからです。美しい金髪は頭の3分の1ほどしかなく、頭部は火傷の跡が残り禿げ上がっていました。右の耳たぶはほとんどなくなっていました。顔も半分以上に火傷の跡が残り、右目はまぶたが引きつり、ちゃんと閉じることができないようでした。年齢は2歳だといっていましたが、とにかくこんなに無残で痛々しい顔をした子供は見たことがありませんでした。この女の子がベシアナでした。
事件が起きたのは1998年3月だったようです。以前にも書きましたが、このころはセルビア軍・警察とコソボ解放軍の伝説の司令官アデム・ヤシャーリが激しい戦いを繰り広げていたときです。ベシアナ一家は、スケンデライの山間の村に住んでいたのですが、その日、一家が食事を取っていると、突然セルビア軍が村を襲い、彼らの撃った砲弾の一発が運悪くベシアナ一家の家に命中したのです。家は瞬時に燃え上がりました。そのとき家の一階で子供たちに食事を取らせていた夫婦はあわてて子供たちを連れて家の外に逃げ出しました。家の外に子供たちを連れ出したとたんに、夫婦はまだ赤ん坊だったベシアナが2階のベットに寝ていることを思い出しました。そこで、父親は燃えさかる家の中に引き返し、急いで2階に駆け上がりました。夢中だったので詳しいことはよく覚えていないが、とにかく炎に包まれたベットの中でベシアナが泣き叫んでいたので急いで抱えあげて家の外に連れ出したとのことでした。
おそらくベシアナは毛布をかけられ顔の左半分を下にして寝ていたのでしょう。そこを炎が襲い、彼女の顔の右半分を焼いたところで父親が救い出したのだと思われます。ですから、首から下は全く火傷をしていませんでしたが、赤ん坊の柔らかな顔や耳は業火の前ではひとたまりもなかったのでしょう。それから、両親はベシアナの治療のために各地を駆け巡ったようです。スケンデライの病院はおろか、プリスティナの病院でもベシアナの治療をすることができず、母親とベシアナは「敵」の本拠地であるセルビアの首都ベオグラードまで移送されました。母親は、セルビア人の医師にベシアナを見せるときには、真相を話さずに、ただ事故で大火傷をしたと話したとのこと。母娘は数ヶ月間ベオグラードの病院に入院して、ベシアナは一命を取り留めました。しかし、その顔にはみるも無残な跡が残ったのでした。この傷跡を何とかしてくれないか、というのが私に会いに来た夫婦の要望だったのです。
(文:井上 健)
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