皆様、新年、明けましておめでとうございます。前回まで書いてきたコソボにおける民族和解のプロセスはまだ継続中ですが、今回は新年ですので、コソボにおける年越しの話を書きます。
コソボ戦争が起きたのは1999年の春でしたが、セルビア民兵によるアルバニア人襲撃とそれに対するNATOによるセルビア軍施設への空爆によって、コソボ全土が壊滅的な打撃を受けました。そういう状況下で8月にコソボに赴任した私が、越冬対策と市役所の再建に全力を傾注したことはこれまで書いてきたとおりです。12月にはいると本格的な冬が到来し、氷点下10度くらいの本当に寒い毎日が始まりました。それでも大晦日の夜に年越しのパーティを市役所の前で開かないかと提案してみました。
おりしも時は1999年から2000年の大台に代わる、いわゆるミレニアム(1000年に一度の年代わり)でした。最初のうちは、冬は寒いから家で家族とのんびり過ごしたほうがいいよという意見もありましたが、今年はアルバニア人の解放の年だから、みんなで集まって騒ごうということで盛り上がり、市民総出で年越しのパーティを開くことが決まりました。とはいえ、予算がありません。「市長」であった私は、2000年だからせめて2000ドルくらいを市の予算から出したいが、そんな大金はないので、何とか予備費の200ドルでやってくれと頼みました。今から考えてもむちゃくちゃな話だったと思います。
ところが、どこの国民でも同じなのでしょうが、一度盛り上がると皆がエネルギーと知恵を出し合い、話はどんどんまとまっていきました。予算の一部は、屋外用の大型スピーカーを借りることにあてられ、残りは市役所前の広場の電飾のために使うことになりました。ところが、普通の電球は一個30円くらいなのですが、色が付いていると50円くらいします。そこで彼らは、普通の白い電球を買って、それを薄めたペンキに浸けて赤や青や黄色の電球を作ったのです。かくて市役所前広場にはそれはきれいな電飾がつき人目を引くようになりました。それから、街の商店に掛け合い、売れ残りの品をだたで景品として提供してもらい、無料の宝くじをすることにしました。私もポケットマネーでラジカセを買って、市長賞として提供しました。
さらに、日本人国連ボランティアが集まり、温かいスープの無料配布をすることにもなりました。そして12月31日の夜が来ました。町と外をつなぐ道が遮断されるほどの大雪になりましたが、市役所の前には、千人を超す老若男女が集まってきました。そして手作りの照明と音楽にあわせて歌ったり踊ったり騒いだりしていました。過ぎ行く1000年とコソボの歴史に思いをはせ、解放の喜びをそれぞれが味わっているようでした。
2000年午前零時に向けてのカウントダウンが始まると興奮はますます高まり、新たなミレニアムが始まるといっせいに銃声が鳴り響きました。コソボ解放軍の元兵士たちが、興奮して実弾を次々と空に向けて撃ち始めたのです。空に向けて撃っても弾は必ず同じスピードで地上に落ちてきますし、それが運悪く人に当たればひとたまりもありません。とはいえ、盛り上がった人々は気にすることもなく、騒ぎまくっていました。幸い、誰も流れ弾に当たらなかったようですが、主催者としては、内心、肝を冷やしました。とにかく、凍てつく寒さと大雪の中をコソボのアルバニア人と騒ぎまくって迎えたお正月は、生涯忘れられない年越しとなりました。
(文:井上 健)
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