今回から、私がコソボで仕事をしている間にエネルギーの半分以上を注いだ民族和解の課題について書きます。以前少し説明しましたが、コソボ問題とはバルカン半島におけるセルビア人とアルバニア人との間の民族問題に他なりません。
日本は島国であり、弥生時代から現在までのおよそ2000年間は大量の民族移動や民族融合がないため、日本の国土と人口のほとんどが日本民族で占められ、国籍としての日本人と日本民族はほとんど同意義に用いられています(もちろん日本にはアイヌ民族、琉球民族、朝鮮民族などもいますが)。だから普通の日本人で、たとえば「セルビア連邦セルビア共和国のセルビア系セルビア人がセルビア系コソボ人と一緒になってセルビア共和国のアルバニア系コソボ人をコソボ自治州からアルバニア共和国に追い出した」という文章をすぐに理解できる人は少ないと思います。
そもそも民族という概念は外見で判断できるものではなく、自分たちが同じ民族に属しているという認識、アイデンティティを持っている人々の集団が民族なのです。そして同民族であるという認識の基準や根拠は、人種、宗教、言語、文化、歴史認識、など様々です。セルビア共和国コソボ自治州の場合、人口の約9割がアルバニア民族で、彼らはイスラム教徒でアルバニア語を話し、当然のことながら隣国のアルバニアと強く結びついています。コソボはセルビア共和国の一部ですから、彼らをアルバニア系セルビア人ともいえますが、通常はアルバニア系コソボ人と呼びます。
コソボの人口の1割弱を占めるのがセルビア民族で、彼らはキリスト教のセルビア正教徒でセルビア語を話します。セルビア民族はセルビア共和国では人口の8割以上を占めている多数民族ですが、コソボ自治州に限ると1割にも満たない少数民族なのです。そこで通常、セルビア系コソボ人と呼びます。アルバニア系コソボ人とセルビア系コソボ人は、外見ではまったく区別がつきません。私がコソボに着任して間もないころ、セルビア系コソボ人のドライバーを連れてアルバニア系コソボ人のいる町に行ったとき、彼は私に「俺の名前はピーターでイギリス人ということにしておいてほしい」と頼むのです。彼にしてみれば、英語の名前を使って英語を話している限り、自分がセルビア系コソボ人であることはわからないと確信していたのです。当時の私は、そんなものなのかなぁぐらいにしか考えていませんでした。
ところがしばらくして事件が起こりました。あるブルガリア人が国連の職員に着任したのですが、着いたその日に町を歩いていて、通りすがりの人に「今何時ですか」とセルビア語で聞いたのです。彼はセルビア語を話せて、コソボはセルビア共和国の一部だからと思ってセルビア語で尋ねたのでしょう。ところが、尋ねた相手はアルバニア系コソボ人で、ブルガリア人をまだコソボに残っているセルビア系コソボ人だと勘違いしたのです。彼はその場で何者かによって射殺されてしまいました。日本人の私がたとえセルビア語で話しかけてもセルビア人と間違われることはまずありませんが、このあたりの民族はみな同じような顔かたちをしているのでこういう悲劇が起こりうるのです。この事件後、国連は、コソボ人に話しかける際に、相手がアルバニア系かセルビア系かわからない場合は、必ず英語で話しかけるようにとの通達を出しました。
(文:井上 健)
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