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コラム 11月15日更新

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世界の片隅から

第7回 -私のラクダ- 最終回

散歩中  私のソマリアで飼っていたラクダのダアリの話も今回で終わりです。ダアリのおかげで、私は内戦下のソマリアというどうしようもない状況下で仕事をしながら、ノイローゼになることも仕事のストレスをためることもなく、楽しい生活を送ることができました。また仕事の上でも、現地の人々の信頼と協力を得るためにどれほどダアリが貢献したかわかりません。しかし、そんなダアリとも別れの日が近づいてきました。私にジュネーブでの仕事がオファーされたのです。私は真剣にダアリをジュネーブに連れて行こうと考えました。しかし当時の国連の規定によると、離任に当たっての荷物の別送品は150キロまでだったのに、ダアリの体重はすでに250キロくらいありました。どう考えても、ダアリをジュネーブへは連れて行けそうにないし、連れて行ってもレマン湖のほとりで飼うわけにもいかないだろうと考え、ダアリはソマリアに置いていくことにしました。ダアリにとってもその方がいいと思ったのです。

 ベビーシッターの男には前金で半年分の給料を渡して、「お前にダアリを預けるからしっかり面倒を見てやってくれ。ダアリがもう少し大きくなったら子供を生ませて、その子はお前にあげるからどう処分してもいい。乳も生活の足しになるだろう。しかしダアリだけは売ったりしないで飼い続けて欲しい。いつの日かソマリアに平和が戻ってきたら必ずダアリに会いに戻ってくるからな。」と話してダアリの世話を頼んだのです。「平和になってバイドアの町にも観光客が来たら、ダアリの背中に乗せればきっと儲かるぞ。それまで頑張れよ。」とも言っておきました。

 私がバイドアの町を去る前日、オフィスのソマリア人が集まって送別会を開いてくれました。その席で、わたしに真っ白い布でできたソマリアの服と革靴とナイフを贈ってくれて「お前は今日から人道支援のウガスだ」というのです。ウガスとは村々の村長たちの上に立つ首長のことで、ソマリアの地域社会を治めるいわゆる長老です。そんなウガスの称号をもらったのです。話はそれますが、私が知り合ったウガスのひとりは60歳くらいでしたが、子供が100人近くいるというのです。でもイスラム社会でも奥さんは4人までと決められているはずなので、子供100人は無理です。そこでその疑問を率直に尋ねたところ「なに、ひとつの村につき4人までだ。俺は20以上の村を治めているウガスだからな。こうして村を訪ねていくと、各村の村長や有力者に是非娘を奥さんにしてくれと頼まれてな。仕方がないんだ、これも。」とすまし顔でした。私がウガスに任命されたのは離任直前だったため、村長さんから依頼を受けることはありませんでしたが、もっと前だったら困っただろうなと感じた次第です。

 さて、バイドアを去る日の朝、最後にダアリに一乗りして私は別れを告げました。以来10年余り、いまだにダアリとの再会は果たせていません。ずっとソマリアで内戦が続いているためです。私が住んでいたバイドアの町も他の軍閥に攻撃され、指導部が代わったと聞きました。私の友人たちやベビーシッターとダアリは無事だろうかと気がかりです。でもラクダの寿命は20-25年とききますので、ダアリも健在ならばまだまだ女ざかりで頑張っているはずです。実際、ダアリはすでに2頭の子供を生んだようだと、数年前に風の便りで聞きました。子ラクダたちと一緒に、首から私の作った身分証明書をぶら下げてソマリアの大地を歩き回っているダアリを想像すると、厳しくも楽しかった日々がなんとも切ない気持ちで思い出されます。ソマリアに平和が戻る日が近いことを祈って、「私のラクダ」、ダアリの話を終わります。次回からは、「私のカメレオン」の話を書きます。



(文:井上 健)
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