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コラム 09月15日更新

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世界の片隅から

第1回 -私のラクダ- 1

ソマリアのラクダ 今月から、この連載コラムを担当することになりました。筆者は日本生まれの日本育ちですが、大学卒業後20年間ほどを海外で過ごし、そのほとんどの期間、国連職員として世界各地を転々としながら勤務してきました。4年前に帰国して以来、千葉県に在住し、現在はアジア太平洋地域の国際機関であるアジア生産性機構という国際機関に勤め、月に一度の割合で外国に出ています。そんな私の世界各地での経験や体験をこのコラムを通してお伝えしたいと考えています。
  私は動物が好きで、これまでの人生でいろいろなペットを飼ってきましたが、今でも一番心に残っているペットはラクダです。日本人でラクダをペットとして飼った経験のある人はあまりいないと思いますから、これから数回にわたって私のラクダ、ダアリについて書きます。

 時は1994年、私は内戦真っ只中のソマリアに赴任しました。「ブラックホークダウン」という映画をご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが、首都のモガデシュでは、あの映画のとおり米軍とソマリア人軍閥の大親分の一人だったアイディード将軍が壮絶な戦闘を繰り広げていました。私が着任したのは、米軍の攻撃用ヘリコプターであるブラックホーク(黒い鷹)が撃墜され、米兵18名が虐殺され、彼らの死体が市中を引き回されるという事件がおきてからわずか3ヵ月後のことです。当時のソマリアはまったくの無政府状態で、各地に軍閥の親分が群雄割拠し、まさに日本の戦国時代のようでした(今でも同じ状況ですが)。国連の現地本部がおかれていたモガデシュでは毎日のように市街戦が繰り広げられており、われわれ職員は、元アメリカ大使館だった広大な敷地の中に立てられたプレハブのオフィスのまわりに土嚢を積み、防弾チョッキを着用し、ヘルメットをかぶって、コンピュータのキーボードをたたいていました。それでも敷地内に飛び込んでくる流れ弾に当たって負傷する職員が続出しました。流れ弾どころか流れロケット弾まで飛んでくるような職場でした。

 そんなソマリアで、私はベイ・バクール地方という広大な地域における国連諸機関と国際NGOの人道支援活動を調整するという任務を命ぜられ、モガデシュからヘリコプターで1時間ほど内陸に飛んだところにあるバイドアという町に赴任しました。モガデシュ、キスマヨ、バイドアという3つの町を結んだ地域は当時、死の三角地帯と呼ばれ、1992年から93年にかけての大干ばつの際には一日に数千人が餓死するという悲惨な状況でした。当時バイドアで活動していたNGOの職員から聞いた話ですが、そのときの彼らの仕事は、毎朝トラックで行き倒れとなった人々の死体を集めて回ることから始まり、ひどい日には400人以上の死体を回収したとのことでした。私が着任したころは、これほどひどい時期は過ぎていたのですが、それでも村々には飢饉が広がり、町の周りには村から逃げてきた避難民の群れがスラムを作ってあふれていました。ここでの生活や仕事の内容はまた別の機会にでも書きますが、とにかく厳しい状況が続き、気の滅入ることばかり起こる毎日でした。

 そんなある日、ヘリコプターから地上を眺めるとラクダの大群が下界の半砂漠地帯を悠々と歩いていました。そのときです。ああ、あんなラクダを飼って自分のラクダに乗ってみたいなあ、と感じました。ここまで書いたら、予定の紙幅が尽きてしまいました。続きは次回に書きます。

(文:井上 健)
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