このシリーズは『未病を治す』"自分の健康は自分で守る"ことを主眼においています。この意義は深く重いものです。決して私自身が考えたことではありません。
中国を西から東へ流れる大河は黄河や長江が有名です。殊に黄河の流域は中国古代文明発祥の地です。中国の漢民族がこの黄河流れに沿って下り、中国の文明の発展に尽した歴史は良く知れているところです。
漢字もまた漢族を中心として創造された、秀れた遺産です。これを用いて今日に残された貴重な医学こそ、漢方医学なのです。
この連載を途中から読まれた方々のために、おさらいの意味で、以前に記したことを一部重複して今回は記述しましょう。
世界古代四大文明の一つ、中国の黄河文明。今から遡ること、六千年はおろか八千年、あるいはもっと歴史があるといわれる漢民族・黄河文明。
"漢方医学"と我国で呼称されるようになったのは江戸時代の末期。オランダ医学が移入され、これと区別するためでした。
自然科学を裏付けとして理論化されたドイツ医学が入って来るまでは、漢方医学とオランダ医学は共存していきました。しかし明治新政府になると、ドイツ医学のみが正当な医学と認められ、経験のみに頼っていた漢方医学は法的に葬り去られる運命になってしまいました。
漢方医学は個人個人の体質や病期の過程を重視します。従って効率的な医療とは言えません。一方ドイツ医学は、一定の診断が付いた病氣には○○という薬を、例えば大人なら何錠、何グラムというように処方されます。大変効率が良いわけです。
これには時代の要求があるのです。明治政府は西洋のイギリスを手本に発展しようと志したのです。つまり、西欧の列強に学び、アジアに於ける植民地政策に転じ、多くの文明・文化を学び国作りに当った中国や朝鮮を侵略する、という蛮行に打って出たのです。風土病や伝染性疾患に漢方医学は適さず、ドイツ医学を優位としたわけです。
ところが戦争が終わり、平和が戻ると、個人の多様な要求が得られるようになり、そこで漢方医学が再び民衆から支持されるようになって来たのです。次号へ続く。
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