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コラム 11月15日更新

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日本とユダヤのハーモニー 第2部 〜日本語のルーツ

第10章
祇園祭りに潜むイスラエルの影 その7
〜蘇民将来の起源はイスラエルの過越祭か!

 これまで祇園祭とユダヤの関連性について、ノアの洪水神話に共通点を見出し、山車及び牛頭等、特殊な宗教用語のヘブライ語源を検証しながら解説してきました。類似点はまだ多数あり、特に祇園祭とイスラエルの「過越の祭り」との関係には八坂神社の関係者も含めて多くの学者が注目しているようです。その理由は共に厄病よけの行事として繋がりがあるからに他なりませんが、実際はそれ以上に深い係わり合いがありそうです。

 そもそも「祇園祭」は平安時代に疫病が流行し、その祟りを鎮めるためにスサノオこと牛頭天王を祀ったことに由来していると言われています。この牛頭天王信仰が始まるきっかけとなったのが「蘇民将来」という厄病よけの行事です。『釈日本紀』 にある 『備後風土記』によりますと、スサノオが困っている時に裕福な将来の弟は宿を貸すことを断ったが、貧しい兄の蘇民将来は宿と栗飯を提供したとあります。それを機に、スサノオは後の日に疫病が流行しても、蘇民将来の子孫で茅の輪を持っていれば難を逃れることができることを約束したのです。この伝説を発端として、いつしか全国各地で「蘇民将来之子孫也」という護符が付けられた注連縄が住宅の玄関上に飾って置かれるようになりました。この護符は京都の八坂神社では今でも祇園祭の最中に授けられています。

 この「蘇民将来」の伝説はイスラエルの「過越の祭り」と内容が酷似していることに気づかれる方も多いと思います。「過越の祭り」はイスラエルの民がエジプトで奴隷となって苦しめられていた時、神がモーセに対して羊を屠ってその血を家の入り口の柱に塗ることを命じ、その教えに従ったイスラエルの民のみが神の裁きを逃れることができたことを祝したことに起因しています。その神の救いを記念して「過越の祭り」がイスラエルの祭日として祝われるようになったのです。

 大変興味深いことに日本とイスラエルという2つの異国で長年に渡り継承されてきたこれらの宗教儀式は、単に厄除けとしての共通点が在るだけでなく、蘇民将来の伝説では茅の輪を持つこと自体が救いの条件であったはずの護符が、「過越の祭り」のしきたりを吸収したかのごとく、いつの間にかそれが玄関の門柱に貼り付けられるようになったのです。更に祇園祭では竹や柳の木の枝を振りかざして歩き巡る光景が見られますが、同様にユダヤ教の祭の中にはスコット祭のように民衆が多くの木の枝を持って行列に参加するものが見られます。そして祇園祭で使われる香炉はユダヤの神殿で使われているものと形が類似しているのです。もしかすると「過越の祭り」で2つの柱にヒソプをつけることにちなんで、日本でも正月に玄関の両脇に門松を立てる慣習が生まれたのかもしれません!

 ここで当然ながら一つの疑問が生じます。例年、夏に開催される祇園祭のルーツが旧約聖書の洪水神話にあり、ノアの一族が箱舟によって救われた7月17日が大切な暦であることは前述した通りです。しかし蘇民将来の話では今度はイスラエルの過越しの祭りにちなんで正月が話の中心となっています。この一見矛盾した暦の相違を解明する手がかりが古代イスラエルのシオン祭です。祇園祭の前身とも言えるシオン祭が複数の祭りを祝うイスラエルの複合祭であったことを理解することによって、一挙に解決できます。


(文・中島尚彦)
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