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コラム 08月15日更新

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日本とユダヤのハーモニー 第2部 〜日本語のルーツ

第7章
祇園祭りに潜むイスラエルの影 その4
〜建国の神、スサノオの正体とは ?
「牛頭天王」に見え隠れする日本人のルーツ

 スサノオノミコトは牛頭(ゴズ)天王とも呼ばれ、祇園祭の総本山ともいえる京都の八坂神社(祇園社)に祀られているだけでなく、八坂神社を始めとする全国の鎮守社の御祭神としてあまりにも有名です。ところが記紀に伝えられるスサノオは、乱暴者であるが故に高天原から追放され、出雲に出向いて腹いせのごとくヤマタノオロチに打ち勝った若武者というイメージに映ります。それ故、単なる厄除けの神のような存在にも思え、日本国民が土地の神、約束の神として参拝したくなる偉大な神とはお世辞にも言い難いのです。また葦原中国を統一したのはスサノオの子孫である大国主神ということからしても、なぜスサノオだけが全国各地にて建国の神として崇拝されるようになったのか、疑問に思えてきます。その謎を解く鍵は、どうやら「牛頭」にありそうです。

 牛頭という言葉の語源には定説がありません。日本書紀によるそれらしき記述としては、天照大神に命じられてウケモチを見舞いに行くアマノクマヒトの神話があります。その時ウケモチは既に死んでおり、その頭は牛と馬に、そして体のいたる部分が食物に変貌していたのです。この話が農耕作や牧畜の起源として語り継がれるようになりますが、その過程で頭と牛が結びつき、「牛頭」という言葉が使われるようになったのでしょうか?しかしそれでは牛頭とスサノオの関連性を説明することができません。

 そこでスサノオが祀られている八坂神社の社伝に注目してみました。これには7世紀、斉明天皇の時代に高麗からの遣いが来朝、その際、新羅国牛頭山にて祀られていたスサノオノミコトが伝来し、山城国の八坂郷(現在の京都八坂神社付近)で祭られたことが八坂神社の起源であると書かれています。また日本書紀にも高麗からの遣いの記述があり、スサノオが五十猛神と共に新羅国のソシモリに降りたとあります。朝鮮語の「ソシモリ」は日本語では「牛頭」となるため、これらの記述からスサノオと牛頭の結びつきを考えることができます。いずれにしましてもスサノオと牛頭の関連性を探る為には、どうやら日本海を隔てたアジア大陸に目を向けなければならないようです。

 牛頭はインドの祇園精舎でも守護神として祭られていました。国語語源辞典(山中襄太著)の解説によりますと、このインドの牛頭天王が日本に伝来した際、両部神道的な思想に則っていつしかスサノオにのり移り、それが厄病よけの神へと進化し、その結果、元来スサノオを祀っていた祇園社においても牛頭天王が祀られるようになったという説があります。しかしインドの牛頭天王がなぜ日本のスサノオと合体しなければならないのか、説明が不自然なようです。むしろイスラエル人が居住していた西アジア、カナンの地において牛の頭を祭り崇める風習があったことに注目し、そこに牛頭信仰のルーツがあると仮定した方が自然でしょう。すると応神天皇の時代にユダヤ系帰化人としてアジア大陸より移住してきたと言われる秦一族が牛頭天王崇拝を持ち込んだ理由が明確になります。また鎌倉時代後半以降に庶民の間で普及し始めた牛王宝印等のお守り札についても、イスラエルの民が門柱を赤く塗ったように家中に貼られるようになったのは、ユダヤ教の影響を強く受けた為であると、分かり易く解釈できます。このまさかとも思えるイスラエルと「牛頭」の結びつきですが、驚くことにヘブライ語源を辿っていくと、何と牛頭がイザヤ一族と結びつき、そこにスサノオが建国の神として崇められる理由が浮き出てくるのです!


(文・中島尚彦)
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