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コラム 09月15日更新

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日本とユダヤのハーモニー

第10章 スメラミコトに潜む天皇家の謎〔その1〕

 日本の天皇は古代よりスメラミコトと呼ばれ、その漢字表記として天皇という文字が使われています。天照大神より三種の神器を授けられ高天原より葦原中国へ降って国を治めるようにとの詔を受けて日向の高千穂に天下った天孫ニニギのミコトの子孫にあたる神武天皇は、45歳にして天下統一を目指し瀬戸内海を東に向かって大和へ攻め入り、起源前660年、ハツクニシラス・スメラミコトとして正月元旦に即位しました。

 これらは単なる神話というよりもむしろ、前722年に国家を失ったイスラエルの民がイザヤの予言に従って先祖の故郷タガーマハラ(高天原)を経由し、大陸を横断して大和の国に安住するまでの出来事を神話化した可能性が高いことは前述した通りです。おそらく預言者イザヤの子を中心とした精鋭部隊がまず東漸し、その後大勢の民が時間をかけて東方へ移住していく過程において、イスラエルの民は徐々にアジア大陸の原住民と同化しながら遊牧騎馬民族と化していったのでしょう。言い方を変えれば、天孫降臨の話というのは、イスラエルの民が西アジアから日の出ずる島々、日本を目指して東方へ移住するプロセスが神話化されたものと言えます。

 遊牧騎馬民族の時代において、アジア大陸では既に「天王」と名乗る国王が五胡十六国時代を中心として存在し、中国の最高主権者である「皇帝」という称号に対抗して使われていました。それ故、大和の国の主権者を天王(天皇)と称することは、単なる表意文字の組み合わせでは無く、イスラエルに共通のルーツを持つ騎馬民族の「天王」が語源になっているとほぼ断定できます。そして古事記、日本書紀が書かれた八世紀においては天皇家がアジア大陸からの移民であることを隠蔽するために、天王の漢字表記を意図的に天皇と書き換え、読み方も全く違うスメラミコトという称号にあてたと考えられるのです。

 さて、古代日本語「スメラ」は天皇に敬意を表する接頭語として「皇」の読みとなりましたが、一般的には統べ治めるという言葉から、統治者が「スブル」ことを意味すると考えられています。柿本人麻呂は万葉集で天皇を「スメロギ」と呼び、同様に「スメラキ」という名称も古くからあったため、統御(スメ)る君(キミ)の意ではないかという説もあります。また梵語では蘇迷虜(スメル)が「至高」を意味している故「神聖な」という意味に解釈されたり、アラム語においてサマリアを意味するSHAMRAIがスメルに訛ったと解釈するような説もあります。

 しかし一番自然な答えは、スメラをその発音とほぼ同じスメル(SUMER)、すなわち世界最古の文明を築き、メソポタミアから消えていった謎の民族「シュメール」として理解することです。戦前までシュメールはスメラとも表記されていた程、原語の発音はスメルそのものです。このシュメールの文化圏から、信仰の父と崇められているイスラエルの先祖アブラハムの家族も生い立ち、そのシュメール文明の末裔としてアブラハムの子孫であるイスラエル、そして日本があるのです。それ故「スメラミコト」には、世界最古の文明と神の選民の血が皇族のルーツに息吹いていることを証しようとする意図が見え隠れしているようです。そして天皇をスメラと呼ぶことにより、天皇のルーツがイスラエル及びシュメールまで遡ることを暗示しつつも、その事実を上手く隠蔽したのです。すなわち「スメラミコト」とは日本古代史の根底に潜むイスラエルとの関係をカモフラージュする為の考え抜かれた手段だったのです。


(文・中島尚彦)

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