日本とユダヤのハーモニー
第5章 東の島々を求めて旅する失われたイスラエル10部族
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紀元前722年、アッシリアの攻撃によりイスラエルの北王国が滅亡しました。そしてイスラエル12部族の内、南のユダ王国に住む2部族を除く10部族が国家を失いました。その後、何十万ともいえる大勢の民はどこへ行ったのでしょうか?彼らが南のユダ王国に移住した記録も無く、諸外国の歴史の中に捕囚の民として登場することもありません。しかし歴史から姿を消したイスラエルの十部族の大半が東方へ移住したことは間違いありません。何故なら地理的条件を見ると西方は海、北は天敵のアッシリア軍団、南はアラビアの砂漠という過酷な条件下に囲まれたイスラエルは、必然的に東方の山を越えてその向こうの未知の世界に逃げるしか生き延びる道はなかったからです。その想いは聖書からも知ることができます。
当時イスラエルでは神からのメッセージを語る預言者が存在し、神への背信行為に対する裁きのメッセージを語っていました。ところがある時、その中心的存在であるイザヤが突然救いのメッセージを叫んだのです。「東で神をあがめ、海の島々(海沿いの国)でイスラエルの神、主の名をあがめよ」と(イザヤ書24章15節)。戦争のうわさで人々が不安のどん底に陥っている最中、偉大な預言者イザヤが国家の滅亡を断言すると同時に救出の道を示したのです。その言葉を聞いた大勢の民は東の島々を捜し求めて大陸を横断する決断をしたものと考えられます。
アジア大陸におけるその後の歴史を振り返ると、このイスラエル民族大移動の軌跡を垣間見ることができます。まずイスラエル民族は元来遊牧民族であり、信仰の父と呼ばれるアブラハムや「主は私の羊飼い」と歌ったダビデ王のように、天幕で移動しながら羊や馬を放牧して生活圏を築いてきた民です。そのイスラエルが国家を失った直後の紀元前7世紀、スキタイ民族が今日の南ロシアに広大な遊牧国家を形成し、時と共に東漸したのは周知の事実です。タイミングからしても、行方不明となった10部族の一部がスキタイ民族に同化して騎馬民族となり、最終的に東の「海の島々」、大和の国に到達したと考えても不思議ではありません。実際、紀元前4世紀には騎馬民族が「匈奴」として東方のモンゴルで勢力を伸ばして遊牧国家を建設しており、そのルーツが西アジア地区から移住してきた高度な文明を持つ民であることもわかっています。そしていつの間にかスキタイ民族は姿をくらましているのです。
日本で後期の古墳から発掘された副葬品や装飾品の多くがモンゴル系騎馬民族の物に類似していることや、天皇家に関する制度が騎馬民族のものと酷似しており万世一系を貫いていること、また日本語の言葉の語源や意味、読み方が、大陸の諸言語と共通していることなどの事実を見ても、騎馬民族が日本に到来し、大和の国の樹立に関わったという可能性をもはや否定できません。国家を失ったイスラエルの民が東の島々に救いを求めて辿り着いた新天地こそ、大和の国ではないでしょうか。そこで天皇家の歴史が幕を開けたのは、イスラエルの崩壊後およそ60年後のことでした。失われかけたイスラエルの文化が日本の土壌で再び芽生えたとするならば、日本人のルーツに神の選民と言われたイスラエルが潜むことになります。
(文・中島尚彦) |