成田シティージャーナル===============
H20年01月15日発行 第75刊 毎月15日発行 購読無料
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成田の将来と日本の未来を見据えて撃つ!
そんなあなたにホットな話題をお送りする
最先端オピニオン紙
発行:ネットハウス
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アンチエイジングの旅 最終編
自然に老いることを前向きに受け止めることがアンチエイジングの真髄!
2007年、アンチエイジングがブレークしました。「若さと美貌」を看板に掲げているだけに、新聞、雑誌やテレビも含め、各種メディアの注目度は高く、アンチエイジングのブームは一過性のものではなさそうです。筆者にとっても2007年は、アンチエイジングの必要性を真剣に考え始めた元年でした。それ以前に抗加齢の治療を受けたことはありますが、当初は少しでも以前の元気を取り戻すことができればという単なる興味本位な動機がきっかけでした。ところが年月が経ち、50歳という年齢を境に、それまで体験したことのない老化現象が現れ始め、日増しに老いていく体の変化と共に、アンチエイジングの必要性について再考する良い機会を得られました。
避けることのできぬ老化現象
ショッキングなことに昨年、目の前の文字がぼやけて見えないという一大事に遭遇しました。原因は歳と共にレンズの役割を担う水晶体が硬化してしまい、ピントを合わせる機能が低下してしまう老眼です。これまでずっと、両眼共に1.5という視力を誇っていただけに、近くのものが見えなくなる老眼には大層困り果てました。レストランに行けばメニューが読めず、ドアに付いているテンキーさえもぼやけて見えず、8と3の見分けがつかなくなったのです。またある日、自分の後ろ姿を鏡で見ると、後頭部の地肌がテカテカと光っていることに気が付きました。「いつの間にか毛が抜け始めている!」そんな危機感にかられ、育毛にも本腰をいれて取り組むようになりました。
頭髪に対してそれまで何も気にかけなかったことを反省し、スキャルプケアに毎日、数分の時間をかけるようにしました。すると、それまでの抜け毛は見るからに細く、貧弱であったのに、ケア後は、抜け毛が単に少なくなっただけでなく、短く、太くなってきたのです。体はいたわり、ケアをすべきものなのだと、つくづく感じさせられました。
体そのものに関しては、マラソンへ本格的に取り組み、筋力トレーニングを定期的に行っていたこともあり、筋肉が以前とは見違えるように鍛えられていました。また、久々に腹筋が割れて見えてきたことも嬉しかったのですが、顔のシワだけは増え続けていくことを避けられませんでした。特に額のシワは、そこに刻まれていく線が日増しに長く、深くなり、とても気になりました。いくらマッサージをしようが、顔を洗顔しようが、一向に改善できません。
更に気になることに、ここ最近、精力の衰えを一気に感じ始めたのです。また幼い頃、銭湯に通いながら、何でおじいちゃんの大事な袋は、だらんと垂れ下がっているのか不思議に思ったものでしたが、ふと気がつくといつの間にか、自分の大事な部分も垂れ下がっているではないですか。しかも陰茎の形そのものまでが変形し始めたのです。
最先端のアンチエイジングの知恵を駆使しても、これらの老化現象には勝ち目がないでしょう。食い止めることができない老化現象に対しては、必死にアンチエイジングの処方を投じ、無駄な抵抗を繰り返して悩むよりも、どうせ老いていく体なら、あっさりと割り切ってその現実を受け入れ、むしろ老いていくと共に豊かになる心を喜び、人生を感謝の気持ちを持ってしんだ方が良いように思えてきました。
アンチエイジングで寿命が縮まる?
アンチエイジングがここまで話題となる根底には、どうやら若さと美貌に対するコンプレックスが現代社会にあり、それをマスメディアが更に煽り立てているように思えてなりません。真の健康体を求めて生活習慣を改善することが大事であるにも関わらず、昨今の美容整形のように、ひたすら見かけの美しさだけを追い求めることは問題です。自然に老いていくことの美しさに気がつかず、ひたすら若さと美貌を追い求める余り、その不満が却って精神的な負担とならないか心配です。アンチエイジングの理想は高いため、それを気にする余り、いつの間にか越えることのできないハードルを掲げてしまい、多くの人にストレスを与えてしまうのです。その結果、長寿を目指すはずのアンチエイジングが、いつの間にかアンチ・アンチエイジングとなり、寿命を短縮してしまうような気がしてなりません。
「正常な老化は仕方ないと受け止めることも大事」であるとアンチエイジングは教えていますが、果たして正常な老化現象は「仕方ない」と諦めることでしょうか?アンチエイジングの権威でもある米井先生によると、抗加齢医学とは、「健康な人のさらなる健康を指導する医療」であり、老化を「予防・治療可能な病気」と捉えることにより、生活態度を総合的に見直し、老化を進行させる活性酸素を減らすことにスポットを当てています。その根底にはいつまでも若くあり、老いたくないという気持ちの表れがあります。ところが現実問題として、老化のスピードを遅くさせることはできても、人間は誰しも老いていくことに変わりありません。人間は生き物であり、日々、老いていくのが当たり前なのですから、むしろその現実を前向きに受け止め、心豊かに老いることの素晴らしさを体験すべきではないでしょうか。
老いていくことの楽しみと美しさを知る!
オーストラリアのシドニーという美しい港町の郊外に、会社の役員を務めながら人生をフルにエンジョイしている60代の夫婦がいます。親しい知人でもあり、時折、仕事がてら彼らの家を訪ねることがあります。そこはシドニーから車で1時間程離れた所にあり、湖を見下ろすことのできる小さな一軒家です。既に子供達も結婚して家を離れ、静かなたたずまいで2人だけの生活を送っていますが、天気の良い日は決まって、森に面しているバルコニーでゆっくりと夕食を楽しむことにしているそうです。そして彼らが食事をする時には、森からオウムやリス等の動物達が毎晩訪れ、動物に囲まれながら食事を楽しんでいるのです。
彼らの結婚生活について、夫の口癖は決まっています。Every year is better than the last! 「毎年、前の年よりもっと素晴らい!」。そして妻はそれに応えるかのごとく、He is finally the man I want him to be!「夫は自分が望んでいた通りの人よ!」と語ります。それ程2人の絆は強く、仲が良いのです。羨ましい限りですが、彼らの幸せの秘訣は、お互いの心のつながりに重きをおき、自然と動物を愛し、今、与えられている自分の環境で満足していることです。人間を幸せにする一番の秘訣は心であり、まず心の中が満たされていなければ、いくら表面をつくろっても幸福感を味わうことはできません。そして人間関係と自然を大事にするからこそ、年をとると共に、人生の楽しみが倍増していくような醍醐味に恵まれるのではないでしょうか。
アンチエイジングにも、まず、そのような心持ちを大切にすることを取り入れなければ、様々な努力が台無しになってしまいます。例えば、せっかくの休日、大自然に囲まれた天然温泉に行く機会があれば、山々を散歩し、自然の空気を思いっきり吸い、その後、温泉につかりながらくつろぐのが、今も昔も変わらない健康方法でしょう。ところが自然の恩恵には目もくれず、日中から人工のスパでフェイシャルやマッサージ等の施術に時間を費やしてばかりいては、大切なものを見失ってしまうことにもなりかねません。行き着くところ、アンチエイジングが本来の目的を達成する為には、心の豊かさを大切にする精神論が不可欠ではないでしょうか。
抗加齢は心の治癒から始まる!
アンチエイジングは、老化するスピードを最小限に抑えながら、心豊かに人生を楽しむ秘訣を教えています。それをオプティマル・ヘルスと言い、それはまず、ありのままの自分を見つめ、今の自分を受け入れ、今日という日を感謝して楽しむことから始まります。だからこそ、単なる見かけにこだわる余り、多額の費用をつぎこみ、不安な気持ちで様々な治療を受けるよりも、食生活に気をつけながら美味しいものを感謝して食べ、適度な運動を楽しみ、心地よい音楽に酔いしれ、睡眠を十分にとることが大事です。それだけでアンチエイジングの教えの殆どが達成できることを経験則から学びました。これらの殆どはお金のかかることではなく、単に本人の強い決意と努力が必要なだけです。自分の人生を縮めるのも、延命させるのも、全て自分の生活習慣にかかっているということです。
その上で、もし自分の心に時間とゆとりがあり、経済的にも恵まれていれば、様々な美容療法の成果を楽しむことができるでしょう。但し、元から何らかの肉体コンプレックスを持っているならば、まずその悩みから開放されるための癒しが必要なことに留意する必要があります。そして無理な目標を立てることがないようにしなければなりません。どんな治療を受けたとしても、いずれ身体はまた老いていくからです。またホルモン治療の成果についても、もっとオープンに意見交換がなされるべきです。その為には、既に治療を受けたことのある大勢の医者達が、まず自らの体験を公表し、医学的にそれらのデータを分析する必要があります。大勢の運動選手だけがドーピングで捕まり、その事実を公表する時代はもう終焉を迎えなければなりません。運動選手の薬物疑惑など、氷山の一角にすぎないからです。
アンチエイジングの基本はシンプルです。それは人間が元気に長寿を達成する為の健康管理方法であり、その為の生活習慣の改革を教えています。そして、今、できることから少しずつ始め、日々、人生を健康的に楽しむ方法を学んでいくことが大切です。また、アンチエイジングの実践に伴い、元来の目的である長寿を実現する為には、正しい精神論が不可欠です。行き着くところ、肉体的には健康に生き長らえることを目指し、同時に精神面においても成長し、肉体が老いるにつれて、より一層心が豊かになり、生きていることの素晴らしさを喜ぶという、双方の掛け合わせが大切です。老いていくことの必然性をポジティブに受け止めながらも、肉体の老化が最小限に食止められ、日々健康で、笑顔をもって楽しめる理想のライフスタイルが、筆者が学んだアンチエイジングの真髄です。
(文:中島尚彦)
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世界の片隅から
-国連職員の仕事- 16 コソボの年越し
皆様、新年、明けましておめでとうございます。前回まで書いてきたコソボにおける民族和解のプロセスはまだ継続中ですが、今回は新年ですので、コソボにおける年越しの話を書きます。
コソボ戦争が起きたのは1999年の春でしたが、セルビア民兵によるアルバニア人襲撃とそれに対するNATOによるセルビア軍施設への空爆によって、コソボ全土が壊滅的な打撃を受けました。そういう状況下で8月にコソボに赴任した私が、越冬対策と市役所の再建に全力を傾注したことはこれまで書いてきたとおりです。12月にはいると本格的な冬が到来し、氷点下10度くらいの本当に寒い毎日が始まりました。それでも大晦日の夜に年越しのパーティを市役所の前で開かないかと提案してみました。おりしも時は1999年から2000年の大台に代わる、いわゆるミレニアム(1000年に一度の年代わり)でした。最初のうちは、冬は寒いから家で家族とのんびり過ごしたほうがいいよという意見もありましたが、今年はアルバニア人の解放の年だから、みんなで集まって騒ごうということで盛り上がり、市民総出で年越しのパーティを開くことが決まりました。とはいえ、予算がありません。「市長」であった私は、2000年だからせめて2000ドルくらいを市の予算から出したいが、そんな大金はないので、何とか予備費の200ドルでやってくれと頼みました。今から考えてもむちゃくちゃな話だったと思います。ところが、どこの国民でも同じなのでしょうが、一度盛り上がると皆がエネルギーと知恵を出し合い、話はどんどんまとまっていきました。予算の一部は、屋外用の大型スピーカーを借りることにあてられ、残りは市役所前の広場の電飾のために使うことになりました。ところが、普通の電球は一個30円くらいなのですが、色が付いていると50円くらいします。そこで彼らは、普通の白い電球を買って、それを薄めたペンキに浸けて赤や青や黄色の電球を作ったのです。かくて市役所前広場にはそれはきれいな電飾がつき人目を引くようになりました。それから、街の商店に掛け合い、売れ残りの品をだたで景品として提供してもらい、無料の宝くじをすることにしました。私もポケットマネーでラジカセを買って、市長賞として提供しました。さらに、日本人国連ボランティアが集まり、温かいスープの無料配布をすることにもなりました。そして12月31日の夜が来ました。町と外をつなぐ道が遮断されるほどの大雪になりましたが、市役所の前には、千人を超す老若男女が集まってきました。そして手作りの照明と音楽にあわせて歌ったり踊ったり騒いだりしていました。過ぎ行く1000年とコソボの歴史に思いをはせ、解放の喜びをそれぞれが味わっているようでした。2000年午前零時に向けてのカウントダウンが始まると興奮はますます高まり、新たなミレニアムが始まるといっせいに銃声が鳴り響きました。コソボ解放軍の元兵士たちが、興奮して実弾を次々と空に向けて撃ち始めたのです。空に向けて撃っても弾は必ず同じスピードで地上に落ちてきますし、それが運悪く人に当たればひとたまりもありません。とはいえ、盛り上がった人々は気にすることもなく、騒ぎまくっていました。幸い、誰も流れ弾に当たらなかったようですが、主催者としては、内心、肝を冷やしました。とにかく、凍てつく寒さと大雪の中をコソボのアルバニア人と騒ぎまくって迎えたお正月は、生涯忘れられない年越しとなりました。
(文:井上健)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄美郷台の裏通りに、小奇麗な一軒家のフレンチ・レストラン、ビストロコパンがある。ここで夕食を楽しむことにした。こじんまりとしたアットホームな雰囲気が心地良く、テーブルセッティングも合格。まずグラスワインの値段を見てびっくり。なんと赤白共に315円。グラスシャンパンは420円。
そしてフレンチのコースメニューといえば、魚料理で1800円から、肉料理のセットでも上限が3000円。全てが驚きの価格だ。また千葉県産金賞受賞豚ロースもあるのが嬉しい。今日のスペシャルはアイナメということで、魚コースをオーダーすることにした。まずコースのサラダは当たり障りのないごく普通のサラダにフレンチ系ドレッシング。パンは焼きたての美味しいパン。但しバターかオリーブオイルどちらでも結構ですと最初からお願いしたものの、結局どちらも出ず、そのまま食べることになったのはマイナス。
更に気まずかったのがメインのアイナメだ。小骨が殆ど残ったままソテーで出てきたため、小さく口にいれても、口の中が骨だらけ。骨を口からとるのに必死で、とんだ骨折損である。しかし、ついでに口にした千葉県産の豚ロースは大変美味しく頂くことができた。たまたま新人の調理人が魚のさばき方を取り違えたと信じたい。
総合評価 星1つ半
フレンチ「ビストロコパン」
成田市美郷台1-7-10 TEL0476-23-5582
(文:中島尚彦)
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あじ彩 料理長 斎藤渉の直伝レシピ
〈第11回〉しめさば
◆料理長より一言
スーパーなどでおろしてもらえば、手間が省け調理が簡単です。
1.三枚におろし、腹骨を指でさぐりながら、骨抜き等で頭側に向けて抜き取ります。
2.両面が隠れるほどに塩をまぶし、ざるにのせて40〜60分おきます。時間は身の厚さ、脂ののり加減で調節。水洗いして塩を流し、水気をふき取ります。
3.さばをバットに並べ、酢をかぶるくらい注ぎます。途中で上下を返し、20〜120分おいて身をしめます。昆布5p角か昆布茶大さじ1を入れると、うまみが加わります。
4.薄皮をむきます。頭側の端を少しむき、身を軽く押え、尾にむけてはがし取ります。
5.間に切れ目を入れながら、8o厚さに切り、辛子醤油でいただきます。
材 料(4 人分)
さば……………… 1 尾
塩…………………適量
酢…………………適量
大根・ 青じそ・ にんじん ・ラディッシュ… 各適量
練り辛子…………適量
おいしく作るポイント
■酢でしめる時間は、お好みで
さばは鮮度が落ちやすいので、出来るだけ新鮮なものをすぐに三枚におろし、塩、酢の順にしめて腐敗を防ぎます。酢に浸す時間は好みで、2 0分で表面から1oくらいまで色が変わり、2 時間おくと中まで色が変わります。
■切れ目を入れて食べやすく
しめさば、かつおのたたきなど、皮を残したまま刺し身にするものは、中央に身の厚さの1/3 まで切れ目を入れます。これを「八重作り」といい、皮が食べやすく、醤油のなじみもよくなります。
(文:斎藤渉)
PROFILE
斎藤 渉
(さいとう わたる)
1965年千葉県生まれ。
高校卒業後、東京人形町「京樽」に入社して料理の世界に入る。
上方ずし、すし懐石を学んだ後、日本料理を幅広く修業するために「津田沼グランドホテル」に入社。
その後、数々のホテルや料亭において、岩崎清氏(現、渋谷エクセル東急ホテル「日本料理 旬彩」料理長)、黒田廣昭氏(現、「なだ万」ホテルニューオータニ店料理長)などのもとで研鑚を積む。
その後、成田「季節料理 彩季」、松戸「割烹 しの田」の料理長を務め、現在は成田の命泉 大和の湯 内「あじ彩」総料理長。
著書多数。
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日本とユダヤのハーモニー
〜「君が代」に秘められたユダヤルーツ〜
第25章 君が代の由来 パート1
日本の国歌である「君が代」については、長年、賛否両論が飛び交うものの、基本的に誰もが幼い頃から幾度と無くその歌詞を口ずさみ、親しんできた歌であることに変わりありません。特にオリンピック競技や日本代表のサッカー試合等、昨今のスポーツにおいて、若者の間でも自国に誇りを持ち、国歌を斉唱する姿は、今や決して珍しくありません。
君が代のメロディーは、明治維新の開国と共に、イギリス軍の楽長より、国歌の必要性を指摘されたことを発端とし、それから10年余りの月日を経て、最終的には宮内省雅楽課にて曲が定められました。その際、日本人の音感に馴染みやすい雅楽という日本固有の音楽に基づいて作曲されたメロディーが選ばれ、また歌詞については「蓬莱山」と呼ばれる琵琶歌に含まれる「君が代」が選定されました。その歌詞の歴史は延喜五年、今からおよそ千数十年前に編纂された「古今和歌集」の巻七賀歌巻頭歌に遡ります。
そこには「題知らず」「読人知らず」と書かれている通り、当初から歌の題も作者も不明でした。ところが、古今和歌集では「わが君は」と始まる初句が、何故かその直後、和漢朗詠集に載った時には、「君が代」に変えられていたのです。民衆の間に歌い継がれていくうちに変化したという説もありますが、おそらく何らかの意図があって作者の意思が働き、いつしか修正されたものと考えられます。そして「君が代」は、様々なお祭りの行事でも歌われるようになり、舟唄や祭り唄としても広まりました。
庶民から愛されるべき国歌「君が代」ではありますが、一種の違和感を訴える人が少なくありません。その理由のひとつが、不可解な歌詞です。君が代で使われている言葉は大変わかりづらく、何度歌っても子供達はその意味を理解できず、大人でも首をかしげてしまう人が少なくありません。「細石の巌」になることや、「苔がむす」等、一般的には使われることのない難しい表現が含まれており、君が代を斉唱し始める小学校においても、その歌詞の意味をきちんと教えることはないようです。
そして「君が代」の意味が二通りあるということも、議論をかもし出しています。「君」という文字には「あなた」という二人称、そして「君主」という二つの意味があります。それ故、「君が代」は、一般庶民を指した「あなたの代」、もしくは「天皇の御代」、いずれの意味にも解することができ、本来の意味がどちらかは不透明なままです。また代々に渡る繁栄を言い表す為に使われた「苔のむすまで」という独特の表現が、果たして「天皇の御代」の永続性を語るにふさわしい言葉の響きがあるかどうかも疑問です。更に「千代」が何故、「センダイ」ではなく「チヨ」と発音され、その続きの「八千代」が「万代」ではなく、何故「ヤチヨ」と発音されるに至ったのでしょうか。
驚くことに、これらの疑問を解く鍵がユダヤにありました。つまり、これまで解説した民謡や「いろは歌」のように、一見日本語で書かれた「君が代」にも、ヘブライ語で読み通せる二重の意が秘められていたのです。日本語とヘブライ語を巧みにブレンドさせ、そのヘブライルーツを芸術的に日本語に隠蔽した張本人こそ、日本が誇る聖人、弘法大師に他なりません。
(文:中島尚彦)
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かもねぎの
COME ON MUSIC ! ! 71
新しいギターがまたきました。
悪い虫が騒ぎましたー。またもやギターをゲットしてしまいました。今回はネットオークションで交換という方法で、物は1966年製 EPIPHONE WILSHIRE 12弦という珍品中の珍品。エレキの12 弦はこれで2本目。正直ほとんど出番はないんですが、まあこれがコレクター魂でしょうか。本当にいい買い物をした!と喜んでチューニングしていると、やたら弦高が高い。弾きにくいなーと思ってネックを見ているとなんと「おやまぁネックがずれていますよ.(滝口順平風に)」。あっちゃーと思いました。ネットオークションの怖さはここにあります。現品を見ることが出来ないため先方が問題なしと思っても、自分の思い通りのものかわかりません。普通なら「不良品つかまされたー、交換してくれ」ということになるのでしょうが、そもそもWILSHIREの12弦ギターなんて珍しいギターを返品したところで代わりのものがあるわけでなし、修理して使うことにしました。
修理はネックの接着をはがして再度接着しなおすものでちょいと値段と手間がかかりますが仕方がない。12弦ギターはただでさえ弦の数が多く、テンションもきついため弦を張りっぱなしにしておくと、すぐネックが反ってしまいます。人間も同じ姿勢を長時間続けていると体の骨がゆがんでくるものですがギターも同じ。ギター用のストレッチではないですが適度に弦を緩め、湿度と温度のバランスをとることが理想、まるで女性のお肌のようです。
思えばバブルの頃1990年代初頭は円高の影響もあってアメリカ中のギターが日本に集まってくるような時代でした。10数年経て時代も代わり、今ではネットオークションで海を越えてビンテージギターを入手することが出来るようになりました。こうしてネット時代の恩恵に感謝しつつ背伸びをする今日この頃です。
ギタリスト加茂尚弘
連絡先 0476-24-6777(ネットハウス)
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未病を治す 横山瑞生
第39回 自分の健康は自分で守る
中国の古典から、我国に伝えられた語句が慣用語に使われているものは、枚挙に遑(いとま)がありません。例えば「失敗は成功のもと」とか「禍(わざわい)を転じて福となす」という言葉は多くの人々によく知られるところです。
“月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり…。三里に灸するより、松島の月まず心にかかりて、住める方は人に譲り…”。また、“四十(よそじ)以後の人、身に灸を加へて、三里をやかざれは、上氣のことあり。必ず灸すべし”。
この二つの“ ”でくくった文章は、それぞれ、松尾芭蕉の紀行文『奥の細道』の序文の一部と兼好法師の筆による徒然草の第百四十八段の件(くだり)です。
芭蕉は江戸、隅田川の辺りに居を構え、奥明方面への旅を志し、見知らぬ地に望みと不安をないまぜにした氣持を記しています。兼好法師は、四十歳を越えたら健康を保つためには、灸をすえてと、養生の心得をうたっています。
三里というツボは手と足に在ります。特に“足の三里”はツボとして最高。というのは、どんな病氣や症状に対しても、優れた効果を発揮するからです。
上に挙げた、古典の文豪も“三里”について、その著作の中に登場するのも偶然と言うより、必然と言うべきかと思われます。
三里について、もう少し詳しく説明しましょう。足の三里はひざの下の外側。ズボンの縫い目に当たるところ、そこに丸い骨頭が触れます。その前で足首を動かしますと筋肉が浮き沈みする、ここが足の三里です。もちろん、左右の足に在ります。
ツボの刺激の仕方には、指圧・灸・鍼などがあります。読者の皆さんは指圧か灸法が利用できます。
最近は灸をすえても、やけどをしない“もぐさ”を薬局で求めることができます。この灸法は間接灸といいます。
ほかに灸と皮膚との間に紙やスライスした生姜、大根、ニンニク、またびわの葉を置く方法もあります。夏は三つ、冬には五つほど一ヶ所のツボに施灸すればよいでしょう。
因(ちな)みに、足の三里は先に記しました通り、胃・腸の急・慢性炎、胃腸の潰瘍などの消火器系疾患、運動器、循環器、皮膚、泌尿・生殖器・精神・神経系と多岐にわたる治療に用いられます。
冒頭にあげた古典の文章は“予防・養生に心掛よ”と受け取れましょう。
PROFILE
横山 瑞生
(よこやま ずいしょう)
1939年
茨城県常陸大宮市に生れる。
1964年
東京高等鍼灸学校卒業、在学中から大塚敬節氏に師事し漢方を学ぶ、後小川晴通氏に師事し鍼灸を学ぶ。
1971年
中国医学研究協会設立に参画。
1973年
中華医学会の招聘で訪中、鍼麻酔、耳鍼療法学など我国に最初に紹介した1人。現在、日本東洋医学会会員、日中医療普及協会会長、新宿鍼灸師会会長、日本ホリスティック医学協会常任理事、一本堂鍼灸療院院長などの傍ら国内外の後進の指導に当たる。
著訳書
『カラー版鍼灸解剖図』『最新中医針灸穴位掛図』『針灸経穴辞典』『針灸寄穴辞典』『アレルギーはツボで治る』『耳針療法掛図』ほか多数。
連絡先
東京都新宿区本塩町10 四谷エースビル101
一本堂横山鍼灸療院 電話 03(3359)6693