成田シティージャーナル===============
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成田の将来と日本の未来を見据えて撃つ!
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最先端オピニオン紙
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アンチエイジングの旅 Part.I
抗加齢医学による人体改造論は真実か!
アンチエイジングが話題になっています。この現代語をまだ聞き慣れていない読者の方も多いかと思いますが、アンチエイジングとは抗加齢(こうかれい)の英語訳であり、老化を病気と捉えて治療する最先端の医学を指しています。アンチエイジングは言い方を変えれば、「生活の質」(QualityofLife)を改善し、より健康で、元気に、丈夫で長生きをするための医学です。ごく当たり前の老化現象を病気として捉えることに抵抗を感じる方も少なくないと思われますが、老化や加齢のメカニズムを科学的に究明し、そのスピードを最大限に抑える為には、老化という症状を病気の一種として認識し、研究することが不可欠です。
生活環境が完璧で、食生活、睡眠、運動量、その他あらゆる生活習慣に至る全てがきちんとコントロールされ、遺伝子的にも問題がなければ、人間は120歳まで健康な生活をすることができると言われています。ところが現実問題として人間は病気にかかることが多く、その上、老化も最小限の不可避なレベル以上に加速する為、多くの人が元気に生きるべき理想の年月を経ずに、人生を終えています。アンチエイジングはこのように理想像から乖離して老化現象が進むことを、治療のターゲットとしています。そうした意味でアンチエイジングは予防医学に属しており、人々の健康状態を、それぞれの年齢において、心身共に「歳相応」の最も優れたコンディションに保つとともに、活き活きと日々の人生をエンジョイするための秘訣を様々な視点から提言しています。「継続は力なり」と言いますが、アンチエイジングこそ、日々の健康管理を徹底して継続することによって呼び起こされる、本来の元気な自分の姿です。よってアンチエイジングは究極の人体改造論にもなりうる教えであり、厚生労働省が掲げる「健康日本21」に準拠した効果的な具体案としても、今後、大きな役割を果たすことになる可能性があります。
アンチエイジングの医学とは?
アンチエイジングは、平たく言うならば、「長寿の秘訣」と言い換えることができます。その基本的な教えは、ごく常識的な健康管理に関する生活の知恵と同じです。アンチエイジングの医学が提唱している主だったポイントは以下にまとめることができます。
1.老化度の測定等を含む健康診断をして、自分の体の現状を知りましょう
2.食生活を改善して、栄養とバランスのとれた食事を日々、とりましょう
3.適度な運動をして体を鍛え、筋肉の活性化と体の柔軟性を保ちましょう
4.きちんと精神面の適切なケアーをしながらストレスの管理をしましょう
5.ビタミン剤等のサプリメント(栄養補助剤)で栄養の補充をしましょう
6.ホルモンを補充する薬物療法で、ホルモンバランスを若返らせましょう
これらの教えの大半は、ごく常識的な家庭の医学知識ではないでしょうか。当然のことながら、健康管理をする為には、定期的に体の検査をすることが重要です。これまでは、単に身体測定、血圧、心電図、血液・生化学検査やレントゲン、超音波、胸部CTを中心とした検査が健康診断の主体でした。しかしアンチエイジングの時代では、骨密度、血管年齢、高次脳機能、そして加齢に影響するホルモンレベルを測定する為の特殊血液検査も含めた老化度の診断を定期的に受けることが必須となります。つまり老化度の具合を常にモニターし、必要な対策を積極的に取ることに徹するのです。そして食生活に気をつけ、低カロリーながら栄養価値の高い食物を摂取することを心がけ、栄養のバランスをとることも、体のコンディションを最善に保つ為に不可欠です。また、日々、適切な運動を行って筋肉の活性化を図ると共に、十分なストレッチをして体を柔らかく保つことも重要です。その上で精神面のケアに留意し、過度なストレス、神経症、抑うつ状態や睡眠障害から自分の体と心を守ることを目指しています。
更にアンチエイジングの教えは、日々サプリメントと呼ばれる栄養補助食品を用いて、ビタミンやカルシウムだけでなく、最近話題の抗酸化作用が強いコエンザイムQ10や、睡眠の質を向上させるメラトニン、そしてストレスに対する為の抵抗力を持つDHEAという副腎で作られるホルモンの服用を日課としています。一部のサプリメントは国内での流通が限られていますが、アメリカではその安全性が既に確認されて認可されているため、海外経由で容易に購入することができます。サプリメントを連日、大量に飲み続けることは、薬を飲み慣れていない人にとっては大変なノルマになるかもしれません。しかしその決められたルーティーンを守ることこそ、アンチエイジングで良い結果を出す為の鍵となります。これらの教えに加えて、アンチエイジング医学の醍醐味であるホルモン治療と呼ばれる薬物療法も採りいれて、各種ホルモンのバランスを取る治療も平行して受ければ、万全でしょう。これら全ての健康管理を計画的に実行することにより、体が本当に若返るというのが、アンチエイジングの教えです。
アンチエイジングとの出会い
アンチエイジングの伝道者として日本で活躍している第一人者が、現在、同志社大学で研究を続けている米井嘉一教授です。今から6年程前、まだ日本ではアンチエイジングという名称さえ知れ渡っていなかった頃から、筆者は米井教授よりアンチエイジング医学の素晴らしさを聞かされていました。アンチエイジングは日本語の専門用語では「抗加齢」と言いますが、この言葉は日本語ではわかりにくい為、当初から米井教授は、英語の発音のまま「アンチエイジング」と言う言葉で、この教えを日本で普及させることを目論んでいました。そして当時、米井教授自身もアンチエイジングの治療を自ら率先して受けており、その絶大なる効果の生ける証人として、多くの人々に伝道していたのです。
当初、「アンチエイジングの治療を受ければ、あなたも30歳のような若さを本当に取り戻すことができる!」と教授から聞かされた時、さすがに筆者も半信半疑に思ってしまいました。当時、筆者の身長は172cm、体重は73kg。お腹の周辺にはちょっと脂肪がたるんでおり、およそ健康な体を維持する努力はしていたものの、歳相応に老化のスピードが早まってきていることを実感していました。いつしか白髪も増え始め、頭の毛も薄くなり、肩こりや腰痛、筋肉痛も悪化し、スポーツをして怪我をすれば以前に比べると明らかに回復のスピードが遅くなっていたのです。おまけに、顔の小じわも目立つようになり、額には更に深いしわが目立ち始め、とても気になり始めていました。これらの老化現象はやむを得ないものと考えていた為、30歳に若返りできると言われても、所詮無理な話と思ってしまったのです。
しかし米井教授の熱心なトークに心が動かされてしまったのでしょうか、年には勝てない、と半ばあきらめていた自分の心の中に、若返って元気がモリモリになれるというならば、やってみようではないか、と言う思いが生じてきました。せっかくのチャンスと心の中で割り切り、筆者はタイムカプセルに乗ったつもりで、アンチエイジングの治療を受けることにしました!
アンチエイジングは本物か?
アンチエイジングの治療を開始するにあたり、当初、米井先生から治療の窓口として、アメリカでアンチエイジング医療を普及させ、全米で最大のネットワークを誇る老舗C社の日本支部を紹介して頂きました。この会社の概要をインターネットで調べてみますと、その影響力と人脈は想像以上のものでした。当時、既に全米を中心として、C社でアンチエイジングの治療を受けている患者が少なくとも数万人は存在していただけでなく、その内、大勢が医者だったのです。その他、俳優や政治家、プロのスポーツ選手までもがC社の治療を受けていることを知り、「大勢の医者が自ら治療を受けるようなプログラムなら安心」と考え、アンチエイジングに前向きに取り組むことができました。
治療を開始するにあたり、まず老化度判定ドックの検査と診断を受けました。半日がかりで最先端の医療機器を使いながら特殊血液検査や骨密度等の検査をこなしていきますが、一番やっかいだったのは認知症の早期発見にも使われる高次脳機能検査でした。簡単に言えば、トランプの神経衰弱というゲームに類似した記憶レベルの検査であり、数字の桁数がどんどんと増えていく中で、次から次へとボタンを押すというものでした。このような特殊な検査を介して、これまでとは違った角度で自分の体を細部まで検査しながら、体内で進んでいる老化度の状態を検証したのです。その結果、自分の老化度はさほど悪くなく、老化度判定の一番の鍵となる骨密度においては、まだ30代の若さであることがわかりました。ところがホルモンレベルの検査結果を見ると、やはり歳相応に急降下し始めており、このまま放置すれば、老化が加速して、自分本来のベストコンディションから遠ざかってしまうことがわかりました。
そこで、これら老化度判定の検査結果を参考に、自分に合ったアンチエイジングのプログラムが組まれることになりました。まず、規定通り食生活を改善し、定期的にもっと運動することにより、体脂肪を減らして体重を標準のレベルまで落とすことが目標として掲げられました。そして毎日、最低、2リットルの水を飲み、食後にはサプリメントを補充するという生活が始まったのです。処方されたサプリメントの数も半端ではなく、1日3回、毎食後10種類程の錠剤を飲むことになりました。と同時に、落ち込んできた体内のホルモンレベルを適正値に戻すため、薬物治療も導入されたのです。およそ3ヶ月間の短いアンチエイジング治療でしたが、その結果、自分の人生がこれ程大きく変わるとは当初、夢にも思いませんでした。 …続く
(文:中島尚彦)
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世界の片隅から
-国連職員の仕事- 12 民族和解 Vol.2
アルバニア系コソボ人とセルビア系コソボ人の対立は、本当に根深いものです。日本人は、「恨みには恨みをもってむくいず」とか「昔のことは水に流そう」とかいって、良し悪しは別としても、昔の対立をすぐに忘れようとします。でも、バルカンの人々は決して昔の遺恨を忘れません。世代を超えて先祖の恨みを語り継ぎ、いつの日かその恨みを晴らそうとしているのです。だからこそ、ミロソビッチ大統領は、600年前のコソボ平原におけるセルビア民族の敗北を持ち出してセルビア民族主義に火をつけることができたのです。わずか60年前に大敗北を喫した相手とこれほど堅固な同盟関係を築ける日本民族とは、やはり基本的な価値観がどこか違うような気がします。
以前にも書きましたが、私のアシスタントの一人にアルバニア系コソボ人のネジャットという中学の英語の先生をしていた男性がいました。私が始めて彼の家に案内されたとき、彼の家の壁にはセルビア兵の砲弾によってあいた大きな穴がのこっていました。その穴を見ながら彼はこんな話をしてくれました。彼がまだ子供のころ、おじいちゃんが口癖のように何度も、絶対にセルビア人のことを信用してはいけないぞと言っていたというのです。その当時は、近所にも大勢セルビア人が住んでいて、セルビア人の子供ともよく遊んでいたので、ネジャットにはおじいさんの言う意味がよくわかりませんでした。ところが、今回の戦争でセルビア人によって自分の家が焼かれ、親戚や友人が殺され、やはり亡くなったおじいさんの言っていたことは正しかったと今になってわかったというのです。話を聞き終わった私が、「ネジャット、君は同じ話を君の子供や孫にもするつもりかい」とたずねました。彼は、しばらく沈黙して考えていましたが、やがて口を開き答えました、「そうすると思う、それが私がこの戦争で学んだことだ」と。私はため息をつくことしかできませんでした。
「バルカン半島は世界の火薬庫」といわれたのは、100年も前のことですが、ネジャットのおじいさんは、子供のころにバルカン戦争や第一次世界大戦を経験し、その体験に基づいて孫に話をしたのでしょう。同じように、ネジャットは自らが経験したコソボ戦争の話を孫に語り継ぐのでしょう。こうして、民族の怨念が世代を超えて受け継がれていくのです。これだけの歴史の積み重ねの結果としてあるアルバニア系コソボ人とセルビア系コソボ人の対立を前にして、私は呆然と立ちすくむ思いでした。
面白いことに国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)の設置をきめた国連安保理決議1244には、「民族和解」という言葉は入っていないのです。不可能な任務を課しても仕方がないと考えたのかどうかはわかりません。しかし、「治安を維持する」、「民主的な自治政府を設立する」、「すべての避難民の帰還を達成する」といった主な任務を遂行するためには、民族和解を促すしかないことは、明確でした。コソボについて数ヶ月間は、家を焼かれたアルバニア系コソボ人の支援に追われていましたが、いよいよセルビア系コソボ人の問題にも取り組む必要が出てきました。しかし私が住んでいたスケンデライ・セルビッツアの町には、もはや一人のセルビア系住民も残っていませんでした。私の仕事は、町を追われた元住民たちを探すことから始まりました。
(文:井上健)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄成田居酒屋の雄、最大級の客席数を誇る浦島の元気が無い。つい数年前までは、平日、週末に関わらず、その3階建の巨漢は大勢の客でごった返していたものです。ところがここ最近、通りすがりで見ても、駐車場が昔のように車で溢れていません。もしかすると、飲酒運転の取締りが厳しくなったのを機に、客足が遠のいてしまったのかも?
全盛期の浦島の味を懐かしく思い何年ぶりでしょうか、ランチタイムに訪問。刺身と生姜焼き定食(950 円)、浦島で以前から人気のあるラーメンとレバニラの定食セット、そして本日のおすすめとして推奨された650円のかつお刺身をオーダー。
まず、生姜焼きは、いかんせん味が濃く、肉が硬い。どう見てもその場でさっと豚肉をフライパンでさっと焼いている感じがしません。レバニラも同様にその場でレバーを軽く油で揚げてから野菜と共に炒めたとは思えない程、大変硬く全体の味もイマイチです。
定番のラーメンは、ゆで卵の味が利きすぎて、せっかくのラーメンとしての味がうまく活かされてないように思えました。成田界隈では筆頭の人気スポットであった浦島の底力はこんなものではないはず。以前の素晴らしい味と、店の活気を取り戻すべく、奮起して頂きたいものです。
ホヌーズ
千葉県成田市美郷台3 -16-13 TEL:0476 -24-0370
(文:中島尚彦)
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あじ彩 料理長 斎藤渉の直伝レシピ
〈第7回〉さんまの塩焼き
●料理長より一言…内臓を避けて切ると、焼くときに脂が落ちにくいので黒煙が立たずに内臓もふっくらと蒸し焼き状態になります。
1. さんまは内臓を切らないように、半分に切ります。背側の頭から1/3の位置と、腹側の肛門から2cmくらい尾に近い位置を結ぶ線に、包丁を入れるとよいでしょう。
2. さんまにAで塩味をつけ、焼き網に切り目を入れたアルミ箔を敷いて焼きます。Aにつける時間は30分し、化粧塩は尾だけにつけ、盛りつけるときに上になる側から両面を香ばしく焼きます。
3. 器に盛り、大根おろしにしょうゆを混ぜ(染めおろし)、レモンとともに添えます。
材 料(2人分)
さんま ……………2尾
A 塩 ………大さじ2
水 ………600ml
酒 ………200ml
大根おろし ……適量
しょうゆ ………少々
レモン …………適量
塩(化粧塩用)
おいしく作るポイント
■塩をふる代わりに、塩水で味をなじませる
塩焼きは塩加減が重要です。塩を均一にふるのは簡単なようで意外とむずかしいので、酒を加えた塩水につけ、塩味をまんべんなくつけます。塩分が魚に浸透して余分な水分を抜け、酒によって生臭みも抑えられ、まろやかな味になります。
■アルミ箔で理想の火加減に
魚を焦がさず、中まで火を通すには、「遠火の強火」がよいといわれます。切り目を入れたアルミ箔を焼き網に敷いて火のあたりをやわらげ、強火で焼くと、理想の火加減になります。
※写真はアジです。
(文:斎藤渉)
PROFILE
斎藤 渉
(さいとう わたる)
1965年千葉県生まれ。
高校卒業後、東京人形町「京樽」に入社して料理の世界に入る。
上方ずし、すし懐石を学んだ後、日本料理を幅広く修業するために「津田沼グランドホテル」に入社。
その後、数々のホテルや料亭において、岩崎清氏(現、渋谷エクセル東急ホテル「日本料理 旬彩」料理長)、黒田廣昭氏(現、「なだ万」ホテルニューオータニ店料理長)などのもとで研鑚を積む。
その後、成田「季節料理 彩季」、松戸「割烹 しの田」の料理長を務め、現在は成田の命泉 大和の湯 内「あじ彩」総料理長。
著書多数。
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日本とユダヤのハーモニー
囃子詞に秘められた謎
第21章
囃子詞に秘められた謎
能登民謡に込められた励ましのヘブライ語。
石川県を中心に北陸地方で唄われている民謡の中に、「能登麦や節」があります。この民謡は「麦や節」の原曲となった名曲であり、石川県の無形文化財にも指定される程、素朴で落ち着いた響を持つ民謡として有名です。面白いことに、その歌詞のルーツは能登半島で作られるそうめんにあると言われています。そうめんは小麦を原料として作られていることから、そうめん屋は以前「麦屋」とも呼ばれていました。そうめん作りは小麦を石臼で引く作業にはじまり、夜通し入念に伸ばした麺を朝方には干すという、想像以上に大変な仕事で、麺職人は徹夜を覚悟で作業をしたそうです。そんなつらい仕事の中で、互いに励ましあい、心に活気をつける為に唄われたのが、この「能登麦や節」です。そして夜通し働く職人の元気の秘密が、この唄の囃子詞に秘められています。
この民謡の囃子詞は「ヤーイナ」と、その語頭の「ヤ」が落ちた「イナ」、そして「チョイト」です。まず「ヤーイナ」ですが、「麦や小麦はイナー」「刈るがヤーイナ」と唄われる「イナ」の返し唄は、能登民謡の特徴でもあり、独特の響きを持っています。日本語では意味が不透明なこの「ヤーイナ」という詞も、ヘブライ語では重要な意味を持っています。hwya(eenah、イーナ)と発音するヘブライ語は、「〜が授けて下さる」「成される」、という意味があります。そこに神を意味する「ヤ」が加わり、「ヤーイナ」とすれば、「神が授けて下さる」、「神が成してくださる」という意味の言葉になります。どんなつらい時でも神の助けにより、仕事を成し遂げることができる、という思いが込められた囃子詞なのです。
また「ヤーイナ」に続いて唄われる「チョイト」という囃子詞も、同様にヘブライ語で解釈できます。ヘブライ語のduwx(tso'ed、チョイッド)は、「行進」「前進」を意味します。「チョイト」はまさにその「前進せよ!」という掛け声なのです。それ故「能登麦や節」では、「麦や小麦」、「刈る」こと「年」や「米」は、まず神が与えてくださる恵みを表す言葉として「イナ」、「ヤーイナ」という囃子詞になり、その唄の勢いに乗って、「チョイト!」、すなわち「頑張って前進しよう!」と、掛け声がかかったのでしょう。こうして夜通し麦をこねる大変な作業を、お互いが励ましながら続けていくことができたのです。
「能登麦や節」を原型として、後日その後継とも言える「麦や節」が広まりました。そしてその名声は原曲を超えることになります。ごく一般的に「麦や節」のテーマは、さっさと刈り取られてしまう短命の麦を、自分達の哀れな姿に例えて唄ったものと解釈されているようですが、ヘブライ語で読むと、明らかにオリジナルの「能登麦や節」と同じく、「元気はつらつ」の願いがこめられていることがわかります。
「麦や節」の囃子詞は「能登麦や節」と同様の「ヤーイナ」に「ジャントコーイ」が加わります。ヘブライ語でdux(tsa'ad、チャアド)は、前述したduwxの過去形であり、「行進した」という意味になります。またyh(khay、カーイ)という言葉は「活き活きと」を意味します。この2つの言葉が組み合わされて「ジャ(チャ)アドカーイ」となり、いつの間にか訛って「ジャントコーイ」となったと考えられ、「元気一杯に進んだ!」という意味になります。「麦や節」はどんな時でも、元気を出して歩み続けるための励ましの唄だったのです。
(文:中島尚彦)
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かもねぎの
COME ON MUSIC ! ! 67
成田音楽三昧の巻〜
今回はこの夏の音楽三昧の出来事をエッセイにしてお届けしましょう。
●成田ふるさと祭り
毎年恒例のイベントですが、今年は私の化身「リンゴ★サワー」がドラムとボーカルで参加。曲もビートルズ、
イーグルス、ポリス、キッスと王道のロックばかり。かなり盛り上がりました。ふるさと祭りも2 〜3 年前はバンドも3 会場、ベンチャーズ入れて4 会場と言う状況で、東京のバンドから「どうやったら成田ニュータウン祭りに出られるんですか?」という問い合わせもあり、バンドマンの中では注目を集めるイベントでしたが、今年はバンドも隅の方に追いやられて、地元色の強いイベントになりました。いろんな出し物が魅力の成田ふるさと祭りですが、たまにはストリートバンドに耳を傾けてみるのもよろしいのでは?成田はバンドが盛んという意外な一面を垣間見ることができます。
●ギターパンダ
元忌野清志郎&2-3's などで有名な山川ノリヲことギターパンダの演奏を見に香取市のウッドストックへ。最近人のライブを見ること自体がご無沙汰な自分にとって、とても新鮮で刺激になる時間でした。内容はネタばれになるため詳しくは書けませんが抱腹絶倒、ギターもさすがの腕前でプロの演奏を堪能させて頂きましたわい。
●エイサー
夏休み最後の日曜日は、風邪のせいでブルブル震えていました。せめて薬でも買おうと近所のユアエルムに行くと飯仲町のお祭りで沖縄のエイサー踊りが披露されていました。大中小3 つの太鼓に三線が織り成すエイサー。この唄と踊りは実は沖縄でお盆に皆で歌う盆踊りの一種なのだとか。成田ちゅら海会のみなさんの見事なエイサーで夏を締めくくることができました。
ギタリスト加茂尚弘
連絡先 0476-24-6777(ネットハウス)
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未病を治す 横山瑞生
第35回
もうすぐ秋の彼岸がやって来ます。先祖の住む場所、住処を彼岸といい、私たちの住んでいる場所を此岸といいます。
春の彼岸、盂蘭盆、秋の彼岸には、彼岸から此岸へ、つまり生きている私たちの世界に戻り、現世の人々と平安な暮しを共にします。一年に三度の先祖との出会いを楽しむというのです。この秋の彼岸は九月二十日が入り、中日は二十三日(秋分の日)で、前後七日あります。
この頃、咲く花に、ヒガンバナがあります。この時季に咲くので彼岸花と名づけられたことは明らかです。ギリシャ神話では“海の女神”にたとえられ、花の美しさに因むといわれます。別名は曼珠沙華。曼珠沙華とは、古代インドのサンスクリットで、“天上に咲く”という花の名、見る者の心を柔軟にするといわれています。
彼岸花はヒガンバナ科に属し、花茎を地中から伸ばし、鮮紅色の花を咲かせます。中国名では石蒜。さらに記せば、墳墓の周辺に多く見られることから死人花という方言もあり、忌み嫌われてもいます。
この植物は、毒草として多くの人に知られています。けれども、一方で薬草として用いられます。春の終りから初夏にかけて鱗茎を掘り出し、これを水洗いしながら外皮を薄くはぎ取ぎ取り、これを陽乾させたものが生薬の石蒜です。
前述の通り、石蒜は生の鱗茎を利用しますが、毒性が強く素人は絶対に内服は禁じるべきです。薬には毒性のものが多いのですが、それを上手に利用し、薬とします。一例を挙げれば、トリカブト、漢方名は附子、アコニチンという猛毒が含まれています。このトリカブトについては別項で記したいと思います。このアコニチンの量を上手に調剤、処方して、血行循環を促し、冷えや痛みを改善するという薬物です。
少々回り道をしました。
石蒜(彼岸花)は素人は外用薬として、専ら用いることをおすすめします。鱗茎一個をおろし金でおろし、これを就寝前に、両足の土踏まずにはって、包帯で固定します。もれを防ぐために、油紙かビニールを当てるとよいでしょう。肩こり、筋肉の緊張を解きます。日本全土に広く野生していますので、是非ご利用をおすすめします。
PROFILE
横山 瑞生
(よこやま ずいしょう)
1939年
茨城県常陸大宮市に生れる。
1964年
東京高等鍼灸学校卒業、在学中から大塚敬節氏に師事し漢方を学ぶ、後小川晴通氏に師事し鍼灸を学ぶ。
1971年
中国医学研究協会設立に参画。
1973年
中華医学会の招聘で訪中、鍼麻酔、耳鍼療法学など我国に最初に紹介した1人。現在、日本東洋医学会会員、日中医療普及協会会長、新宿鍼灸師会会長、日本ホリスティック医学協会常任理事、一本堂鍼灸療院院長などの傍ら国内外の後進の指導に当たる。
著訳書
『カラー版鍼灸解剖図』『最新中医針灸穴位掛図』『針灸経穴辞典』『針灸寄穴辞典』『アレルギーはツボで治る』『耳針療法掛図』ほか多数。
連絡先
東京都新宿区本塩町10 四谷エースビル101
一本堂横山鍼灸療院 電話 03(3359)6693