成田シティージャーナル===============
H18年12月15日発行 第62刊 毎月15日発行 購読無料
=========================
成田の将来と日本の未来を見据えて撃つ!
そんなあなたにホットな話題をお送りする
最先端オピニオン紙
発行:ネットハウス
〒286-0044 千葉県成田市不動ヶ岡 1958
TEL 0476-24-6777 FAX 0476-24-6778
http//www.naritacity.com
成田市、佐倉市、印西市、富里市、香取市、山武市、八千代市、四街道市
酒々井町、栄町、小林、安食、多古町、横芝光町、芝山町、神崎町に折込
発行部数:275,000部
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
生と死 Part.I 苦難を乗り越えて生きる!
病気と貧困の現場で「生きる」ために闘っている人々から学ぶ
人は、ある日尊い命を授かり、物心がついた時から日々を楽しむことを知り、時には苦しみ、悲しみながらも、肉体は老いていき、いつしか息が絶える日を迎えます。死は生きている者の定めです。多くの人は病気や事故で命を落とし、時には自ら命を絶ってしまう人もいます。老衰による安らかな死など、もはや夢の時代かもしれません。せっかく与えられた一度しかない人生なのですから、この命を大切にして有意義な日々を過ごしたいものです。
ところがこの尊い「命」をないがしろにした殺人や暴行事件、いじめ等の問題が後を絶ちません。また自殺者の増加にも目を疑うばかりです。命が軽んじられる時代の到来とでも言うべきでしょうか。本来ならば、生きているだけでも感謝であり、ましてや今日の平和な日本社会にて生まれ育った人なら、世界中の人から羨ましがられる位、その生活環境は恵まれているのです。今の社会、何かが狂っています。今一度、生命の尊厳、生きることの大切さを考え直そうではありませんか。そこでまず、生きるために一生懸命闘っている人たちに目を向けてみました…。
悲劇に遭遇し生きる為に闘う6歳の少年
11月にアメリカで行われる感謝祭は、日本の新年と同じ位、1年の内で最も重要な祭日です。親族が集まり、七面鳥ディナーを一緒に食べながら、楽しいひと時を過ごす大切な連休なのです。感謝祭の発端は、ヨーロッパから迫害を逃れて米国へ移住してきた移民が、この新天地で食物に与る恵みを神様に感謝したことにあります。その七面鳥の恵みから10余年遠ざかっていた筆者も、2006年の感謝祭は久々に、親友のマイケルとロスアンジェルスで過ごすことにしました。11月25日、マイケルと一緒に彼の家に向かい、やっとサンクス・ギヴィングディナーにありつけると期待を膨らませて、駐車場に車を止めたその時、マイケルの携帯電話が鳴り響いたのです。生きる為に闘うバングラデッシュ
事故や病気もさることながら、貧困の現場でも必死に生きようとしている人々が世界中に存在します。1990年、老朽化したバングラデシュのダッカ国際空港に到着したとたん、空港が停電に見舞われました。世界の最貧国ですから当然、電力の供給も追いついてないのは理解できますが、まさか空港までが停電とは…。月の光をたよりに建物から一歩出ると、突然、数えきれない程大勢の子供達の物乞いで差し伸べる手に囲まれてしまいました。それまでフィリピンやインドネシアの貧しい地域に何度も出向いたことはありますが、この空港で物乞いする子供の数は半端ではありませんでした。どうすることもできず、付き添いの人に手を引っ張られ、見て見ぬふりをするのが精一杯…。
翌朝、街中を人力車に乗せられて見分すると、どこもかしこも歩く人と人力3輪車とで溢れ返っており、想像以上の大混雑。また道端には豚の死骸がころがり、無数のハエが周囲を飛び交うだけでなく、その悪臭もひどいものでした。そして町外れの線路沿いでは難民キャンプの様なテントが無数に張られ、大勢の人々が極度の貧困に直面していたのです。子供を抱いて座っている痩せこけた母親、裸のまま泣きながら歩いている赤ん坊、ただボーっと座っている老人、そのあまりの人の多さに、自分の無力を痛感したひと時でした。
そんな貧困を極めたバングラデシュの街でも、人々の魂は輝いているように思えました。誰も死にたくない、と思うからでしょうか、どんなに貧しくても皆、生きるために必死に闘っていたのです。「生きることに一生懸命なのだ!」。バングラデシュ人の姿を見つめながら、彼らから、生きることの大切さを教えてもらったような気がします。
生きるために必死に学ぶマニラの庶民
発展途上国を訪ねる度に、奉仕する側の方が学ぶことが多い、ということを肌で感じます。フィリピンのマニラ市近郊にレベリザという地域があります。マニラでも最も貧しいこの地域では、80年代からカトリックのシスター達が集まり、街造りと教育に取り組んでいました。リーダーはシスター・タン。父親はフィリピン政府の大臣を勤める政界の大物ですが、自らはひたすらl信仰を貫き、庶民と一緒に住むことを誇りとし、大衆を教えるカリスマ的存在となっていました。
貧困による失望感、犯罪の是正化、そして物乞いを当たり前とするような歪んだメンタリティーの壁を乗り越えて、民衆の心にプライドと生きる喜びを与える為、シスター達の方針は徹底していました。まず、お金は手を出して他人から貰うもの、という乞食の考えを捨てさせ、お金は自分で働いて得るもの、ということを教えました。その為、物を作る技術を習得させ、例えば町中に石鹸や装飾品を作る工場を作り、そこで働くことを教えたのです。こうして自尊心が養われて、自分達の力で新しいことを始めることができる、という意識を植えていったのです。その上で、生活環境を改善する為に、町のいたる所にトイレを作るプロジェクトが始まりました。生活インフラが整わない限り、いつになっても病気に伏す人が後を絶たなかったからです。こうしていつしか街中が活気を取り戻し、人々に笑顔が見られるようになりました。
物乞いをして、働かずにお金を貰う旨みを覚えてしまえば、子供も大人も一生物乞いで終始してしまいます。お金をあげる方も、知らず知らずの内に、彼らが乞食をし続けることに加担することになるのです。しかし、お金をあげて彼らを乞食として扱うよりも、仕事をすることを教え、働いて収入を得ることの喜びを教える方がよっぽど大切なことだ、ということをフィリピンの友は教えてくれました。
ある時、シスター達と一緒にセブ島まで出向き、道路に子供達を大勢集めて、日本から一緒にきたヘルパーと一緒に焼きそば数百名分を作らせてもらいました。お肉がふんだんに入っているヌードルを皆に食べてもらいたい、という単純な筆者の願望を、シスター達が受け入れて下さったのです。皆と一緒に思う存分汗を流しながら、路上で食事を作らせて頂いた時の充実感は言葉では言い尽くせません。そして住民の暖かいサポートと協力の中、笑顔で活き活きとはしゃいで遊んでいる子供達を見つめながら、ふと、日本の子供達と彼らと比べて、一体どちらが幸せなのだろうか、と考えさせられてしまったことも事実です。
人は飲み食いを楽しむ為に一生懸命生きる!
一体人間は何を喜びとし、何を楽しみ、何の為に生きているのでしょうか?人の一生は、病気や苦しみ、悩み等、色々な問題で一杯です。大事故もあれば、貧困もあり、痛みもあれば、空腹もあります。
ある時、ふと聖書を開いてみると、こんな言葉が目に留まりました。「人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。」単純であるだけに、目から鱗でした。つまるところ、人が本当に志すこととは、日々、健康であることを願い、汗を流して働き、食事を「美味い!」と心から感謝の言葉を口にすることだったのです。そして命が与えられている限り、どんな苦境に立たされようとも、ひたすら生きるために闘い、あらゆる困難に打ち勝って前進していく気持ちを持ち続けることが大切ではないでしょうか。必死に生きる発展途上国の人々の姿を思い浮かべながら、生きるために闘っているイーサンの為に祈りながら、生きていることの素晴らしさを実感しています。
(文:中島尚彦)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
世界の片隅から
−道を作りながら走る−3回
前回、私がコソボのスケンデライ・セルビッツア市の市長に任命されたところまで書きました。「さあ、今日からあなたはここの市長だ、戦争ですべてを失った6万5千人の住民がいるからしっかり面倒を見るように」とだけ言われて、トヨタのランドクルーザーを一台あてがわれ、たった一人で送り込まれました。もちろん、言葉も文化も習慣もわからないし、知り合いだって一人もいません。とりあえずは地図を片手に、とにかく町まで行って見ました。町といっても中心に道が一本と、その道とバイバス路をつなぐ道がもう一本あるだけで、その道沿いに雑貨を売っている店が数店と一膳飯屋が2軒ほど営業をしていました。
町をぶらぶらしていると若い男が近寄ってきて英語で話しかけてきました。なんでも戦争前は地元の中学校で英語の教師をしていたのだが、今は失業中なので国連で雇ってくれないかとのことでした。話を聞いてみると、戦前・戦中のアルバニア系住民の置かれていた状況がよくわかりました。町外れに家族で住んでいるというので訪ねてみると、屋根が焼け落ち、砲弾によると見られる大きな穴が壁にあいている家に、奥さんと子供それに兄弟の家族など10人近くの人々が生活をしていました。話をしていると地元のことはよく知っているし、性格もよさそうな男だったので、「正式の国連職員として雇うには時間がかかるが、他にすることもないのならとりあえず通訳として私の仕事を手伝ってくれないか」と話しました。これが、私の一人目の現地採用スタッフであるネジャットとの出会いです。
市の行政を立て直すためには、市の職員と市役所が必要です。ところがこれまで職員をしていたセルビア系の住民は、皆、町から追い出されてしまい一人として残っていませんでしたし、元々の市役所はフランス軍に占拠されていて使えませんでした。しかし、市長である私には、すべての職員を任命・罷免する権限と、個人の所有物でない限り、いかなる建物や設備でも利用できるという絶大な権限が与えられていました。そこで、とりあえずはコソボ解放軍によって任命されたアルバニア系住民の指導者をカウンターパートにして人集めを始めました。また、町を見て回ると中心地にショッピングセンターの残骸が残っていたので、その所有者が個人ではないことを確認したうえで、これを市役所として使うことに決めました。日本の常識から考えると無茶苦茶なようですが、平和構築の現場の仕事とはこういうものです。あれこれ議論ばかりしていては物事が先に進みまません。大切なことは結果を出すことです。もちろん、基本的人権の擁護や職務規定の遵守といった、最低限守らなければならないことはありますが、結果を出すためにどのような手段をとるかは、現場の責任者の独創性にかかっています。国連の仕事でも、開発協力などの場合には何年も前から計画を立て、計画書に沿って一つ一つ着実に事業を実施していきます。ところが人道支援や平和構築の現場では、そんな悠長なことは言っていられません。事態は刻々と変化するし、何もしないということが人命や政治的解決の機会を失うことにつながるからです。とにかく日々直面する問題を解決しながら目標に向けて前進し続けるのです。目的地はかなたに見えています。しかし眼前には道なき荒野が広がっているだけです。道がなければ進めません。だから、われわれは道を作りながら走るのです。
(文:井上健)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄成田界隈で美味しいラーメン屋さんを探している人に、とっておきの穴場をご紹介しましょう。下総松崎を越えて、県道を安食の方に1km程進むと、道の右側に「さど」という手打ちラーメンの店があります。まず、最近流行の安価なラーメン店で使われている細めでつるつるの麺とは違って、太くて腰があり、しかも滑らかな舌触りの「さすが手打ち」とうなずける極上の麺に注目。日本人はやはりラーメンでも、そば、うどんでも、麺の腰と歯ごたえを求めます。そんな期待に十分応えてくれる、大変美味しい麺です。この腰のある手打ち麺だからこそ、お勧めのスープはやはり味噌味。またラーメンに不可欠な具も、定番のチャーシューや海苔だけでなく、コーンや野菜炒めも乗って、大変バランスの良い盛り付けになっています。この味噌ラーメンは600円。290円の安いラーメンに慣れきってしまった人には高く感じられそうだが、食後の満足感を考えれば、むしろお値打ち価格。実はラーメンの激戦地区、東京の池袋や学生街の高田馬場でも、人気ラーメン店は皆、驚く程高い。人がずらっと並ぶ店はよくよく見ると、その大半が一杯600円から800円。今や本当に味で勝負するラーメン店が流行る時代なのです。
総合評価 ★★★★☆
手打ちラーメン『さど』 印旛郡栄町安食2508 TEL 0476-95-1981
(文:中島尚彦)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 函館の出船音頭と同様に、宮城県にも大漁を念願して祝う大漁祝唄が複数存在します。これらの祝唄には「神の泉」を意味する「エンヤー」という囃子詞が頻繁に用いられていますが、中にはあまり聞き慣れない囃子詞を含む唄もあります。宮城県仙台より南へ10km程離れた所にある名取市を発端として広まった閖上(ゆりあげ)大漁祝唄では、唄の始めから「チョイチョイ」、「アリャエー」、「エノソーリャ」、そして「エンヤサー」と、リズミカルな囃子詞が次々と飛び出してきます。大漁を祝い、人々の食卓を潤すことに感謝を捧げるのが大漁祝唄の主旨ですから、これらの囃子詞にも意味が無いはずはありません。
「チョイ」
(tso'ed)は既に解説したとおり、「前進せよ!」という意味のヘブライ語です。次に「アリャエー」ですが、これもヘブライ語で同じ発音を持つ
(‘aleeyah)があり、元来「登る」という意味だったものが、いつしか「イスラエルに移住する」という趣旨で使われるようになりました。それ故「チョイ、アリャエー」は、「イスラエルに向かって、前進せよ!」という意味になるのです。ここで言うイスラエルは中近東のイスラエルではなく、新しい約束の地である東の海の島々であり、それが最終的に日本であったということは以前述べました。つまり国を失った神の選民が、新天地を捜し求めてアジア大陸を渡り、海を超えて探しあてた約束の地が日本だったのです。また「エノソーリャ」は「人類」を意味するヘブライ語の
「エノシュー」の語尾に神の「ヤ」が付加されて「人類の神」という意味を持つ言葉となり、「エノシューヤ」が訛って「エノソーリャ」と発音されるようになったと解釈できます。最後に「エンヤサー」ですが、これも「神の泉」の意である「エンヤー」に、「前進せよ」を意味する「サー」が後尾に追加されたものです。
このように、閖上大漁祝唄の囃子詞は、新天地を探し求めて海を渡るイスラエルの民が唄った祝唄ではないかと推測できます。イザヤの予言により、東の海の島々に新天地があることを信じた民は、「新しいイスラエルに向かって前進せよ!」「人類の神が共におられる!」「神の泉を目指せ!」と、掛け声をかけながら、約束の地を目指したのでしょう。そして辿り着いた日本は、水産資源に大変恵まれた島々であった為、正に「エンヤー」、すなわち「神の泉」の国と呼ばれるにふさわしい新天地だったのです。
大漁祝唄に類似した民謡は日本海側でも広まり、宴会での騒ぎ唄で知られる船方節にも興味深い囃子詞が含まれています。例えば酒田船方節の囃子詞は「ハァヤッショ、マカショ」ですが、「ハァヤッショ」はこれまで解説してきた「見よ」を意味する「ハァ」と「神の救い」を意味する「ヨイショ」という、2つの頻繁に使われる囃子詞の組み合わせで出来ています。「見よ、神の救いを」の意味を持つ「ハヨイショ」は、時間と共に「ハァヤッショ」に訛ったと考えられます。また「マカショ」は
(マカシ)という「隠れ場」、「逃げ場」を意味する言葉が語源です。ヘブライ語で隠れ家は人の救いを意味します。それ故、語尾に神の「ヤ」を付加して「マカシャ」となり、これが訛って「マカショ」となったのでしょう。つまり「ハァヤッショ、マカショ」こそ日本を発見した時の喜びの声なのです。「見よ、神の救いを!神の隠れ家である新天地を」。
(文:中島尚彦)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
かもねぎの
COME ON MUSIC ! ! 58 懐かしくも新しい!魅惑のラップスチールギター
楽器を手に入れるというのはひとえに縁だなぁと思います。スチールギターはハワイアンでよく使われており、特に昭和30年代にハワイアン・バンドブームを経験された方には馴染みの深い楽器ではないでしょうか?自分自身、スチールギターには以前から非常に興味があったのですが、いざやろうと思ってもなかなか売ってないし、いいなあと思ったモデルは非常に高価で、気軽にやってみるという代物でもありませんでした。
ところが、ある日突然わが師匠のTAD三浦氏より、EPIPHONE ELECTRAの、しかも7弦のラップスチールを譲っていただけることになったのです。自分で探してもなかなか見つからなかったのだから、これも縁ですよね〜。しかもこれは戦中のアメリカ製で、かなり珍しい7弦の貴重なモデルのようです。とりあえずOPEN
D+Cという変則チューニングを編み出しました。非常に涼しげな音色が独特で、ハワイアンには馴染みがない私もついつい、アロハオエ〜というよりもアロエミナ〜的な未熟なスチールギターを楽しんでいます。スチールギターと一般のギターの決定的な違いは左手。トーンバーといわれる鉄製の棒で演奏します。今までは、指がどれだけ開くか、早く動くかといった練習がメインでしたので、妙な動きに慣れません。しかしこれがとても面白く、まるでエレキギターを弾き始めた中学生のように夢中になっています。最近は高田漣などの台頭により、ペダルスチールやラップスチールが脚光を浴びています。ブルースでラップスチールギターをプレイする人は少ないですが、最近のJ-POPはもちろん、沖縄民謡、ハードロックなどにもマッチするラップスチールギターは、間口が広く、幅広い年齢層に人気がある稀有な楽器なのかも知れません。なんといっても私の年代だと演奏している人が少なく、競争相手がいないのも魅力だったりして。
これからは、スチールギターもがんばります。
来年もよろしくお願いします。
ギタリスト加茂尚弘
連絡先 0476-24-6777(ネットハウス)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
未病を治す 横山瑞生
第26回
か細く鳴いていたこおろぎの声も絶え、木枯らしが吹く頃。そこかしこから雪の便りが届く。冷え症の人には辛(つら)い季節です。
冷え症をひとくちでいえば、血液循環の悪い人に見られる症状です。また赤血球の数の少ない、貧血ぎみの人もこの症状があります。日暮れから夜半になる頃、元氣になったような感じになり、つい夜更かしするような人は、貧血に加えて低血圧症の者と診断できます。さらに、遺伝的体質があります。ある疾病の一症状である場合もあり、決定的判断に窮することも少なくありません。
冷え症という症状名は欧米にはないと聞きます。日本では古くからある症状名です。手足や腰など特定の部位が冷たく感じること。多くは自律神経に起因することは医学的に認知されていますが、その本質は知られないのが現実です。この症状は男性に比べて、女性に多いのが特徴です。更年期にもよくみられます。
第二次世界大戦終戦後、特に機械化が進み、農機具、運搬・運送に至るまで、その仕事に筋力を省くことが多くなりました。人間は動物であり、身体を満遍なく動かすことで健康が保たれるようにつくられています。運動することによって、血液の流れも順調になり、リンパ液は筋肉の運きによって還流することが知られています。ということは心臓を介して循環しているのではないのです。取りも直さず、体を動かすことが、いかに重要であるかがお解りでしょう。
1972〜3年にかけて中国・湖南省長沙市郊外の馬王推(マオウタイ)墳墓のニュースを覚えている方もあるでしょう。今から約2200年前に埋葬された墓から絹織物、漆器、陶器、楽器等と共に医学書が出土したのです。その中に"導引(ドウイン)図"も入っていました。導引とは今でいう体操といっていいでしょう。これらは"五禽の戯(ゴキンノギ)"といって虎、熊、鹿、猿、鳥の動作を真似(まね)て身体を動かすことが好いと説いています。
くどくど述べましたが、必要に応じて、体の節々を動かし、体液の流れを促すと同時に筋肉を鍛えること。それが内蔵の機能を良効にするということです。ただし、自分に合った運動量は自分自身で程度を見つけること。これが肝要です。着衣にも注意し、"冷え症よ、さようなら"といきましょう。さらにこの項を続けます。
PROFILE
横山 瑞生
(よこやま ずいしょう)
1939年
茨城県常陸大宮市に生れる。
1964年
東京高等鍼灸学校卒業、在学中から大塚敬節氏に師事し漢方を学ぶ、後小川晴通氏に師事し鍼灸を学ぶ。
1971年
中国医学研究協会設立に参画。
1973年
中華医学会の招聘で訪中、鍼麻酔、耳鍼療法学など我国に最初に紹介した1人。現在、日本東洋医学会会員、日中医療普及協会会長、新宿鍼灸師会会長、日本ホリスティック医学協会常任理事、一本堂鍼灸療院院長などの傍ら国内外の後進の指導に当たる。
著訳書
『カラー版鍼灸解剖図』『最新中医針灸穴位掛図』『針灸経穴辞典』『針灸寄穴辞典』『アレルギーはツボで治る』『耳針療法掛図』ほか多数。
連絡先
東京都新宿区本塩町10 四谷エースビル101
一本堂横山鍼灸療院 電話 03(3359)6693