1971年、東京オリンピック後の好景気で日本経済が急成長を遂げ、国家全体に勢いと躍動感がみなぎっていた頃、羽田空港からアメリカへ旅立ちました。行き先は西海岸にある全米第2の大都市、ロスアンジェルス。期待に胸を膨らませた1ヶ月余りの初回研修旅行では、見るもの、聞くもの、触るもの、全てが新鮮に感じられ、アメリカのライフスタイルを体験する良い機会となりました。特に車からのリモコン操作で自宅のガレージドアを開閉したり、缶切りにしても電動オープナーに缶詰を引っ掛けてレバーを押すだけで、ぐるりと一周、缶の淵が切られるという効率の良さには、唖然としたものでした。
食生活の根底を変えるマックとの出会い
滞在地はWestLosAngelesというお洒落な学生街で、UC-LAという州立大学のキャンパスに隣接していることもあり、映画館やレストラン、本屋などが立ち並ぶちょっとした繁華街です。到着した当日、オープンしたばかりの人気レストランがあるということをツアーガイドが聞きつけ、一緒に出かけることにしました。そこは当時アメリカで急速に普及し始めたハンバーガーチェーンの大型店舗であり、カウンター越しにオーダーすればすぐに食べられ、しかも安くて美味しいというのが売りです。さすが全米で既にブームを巻き起こしていただけのことはあって大勢の人が食べていました。これがマクドナルドとの最初の出会いです。無論、このチェーン店が世界最大のファーストフード会社になるとは、当時は想像もつきませんでした。そもそもハンバーガーという言葉さえ知らなかったのです。
初めて味わったビッグマックの印象は強烈であり、すぐにファンになってしまいました。当時も今も全く変わっていないこの世界的定番の味を、今から35年以上も前に口にしていたのです。そしてフライドポテトにケチャップをたっぷりつけてハンバーガーと一緒に食べるアメリカンスタイルに早速はまってしまい、それからというもの、外食といえばハンバーガーを食べることが当たり前となりました。また家で自炊する際も簡単に作れるハンバーガーやホットドックを作ることが多くなり、昼、晩、1日2回続けてハンバーガーを食べることも決して珍しくはありませんでした。
ファーストフードに代表される合理的なアメリカの食文化は、それまで自分が幼い頃から親しんできた日本の食文化とは、余りにも大きな隔たりがありました。しかし当時は日本の食文化の素晴らしさを振り返ることもなく、何ら疑問を持たずに全く異質の食文化を取り入れていったのです。結果として、これが自らのルーツにある日本の食文化をないがしろにすることになり、同様に大勢の日本人が無意識の内に海外の食文化に感化されれば、それがしいては日本民族が崩壊する引き金になりかねない危険をはらんでいることに気が付くまで、何十年という月日が流れていったのです。
世界に誇ることのできる日本の食文化
昭和30年代の食文化を振り返れば思い出は尽きません。当時、東京の国鉄渋谷駅から1km程離れた道路沿いには小さい八百屋さん、酒屋さん、魚屋さん、肉屋さん等が立ち並んでいました。特に思い出に残っているのは煎餅屋さんと豆腐屋さんです。煎餅は勿論自家製で、いつでも焼きたての美味しい煎餅を買うことができました。また早朝5時頃、豆腐屋さんに出来上がったばかりの豆腐と油揚げを買いに行くことも楽しみの一つでした。町中の誰もが豆腐というものは朝、買いに行くものだと思っていた時代だったのです。
確かに食品のバラエティーは今日のように豊富ではなく、お米を主食として多少のおかずと味噌汁を頂く食生活の日々でした。また牛肉は高根の花で、さほど流通していなかったこともあり、たまに口にした鶏肉のソテーが一家にとって素晴らしいご馳走でした。パンもごく一般的な食パンが主流で、それ以外はアンパンかメロンパンのような菓子パンしか目につかなかった時代です。まして果物といえばみかんやりんごが普通であり、メロンやスイカ等はたまにしか食することができませんでした。バナナが高級食品であったことは、今考えると驚きです。
何はともあれ当時の食生活は、毎日がフレッシュだったことには違いありません。無論、冷蔵庫は小さく、「チン」できる電子レンジも無かった為、とにかく日々、食材をかき集めながら、食事を作ることに精をだし、一家団欒の場で美味しく食べて楽しむことを、日々待ち遠しく思っていた時代でした。だからこそ市場から送られてくる新鮮な野菜や、築地から朝一仕入れてきたばかりの活きの良い魚、できたての豆腐等を具として作りあげられたおかずは、昭和30年代の、正に日本が世界に誇ることのできた素晴らしい食文化であったといえます。
日本の食文化に転機が訪れたきっかけ
時間をかけて新鮮な食材で美味しいご飯をつくり、家族みんなで「頂きます!」と、一緒に食事をすることが待ち遠しい毎日。そんなごく当たり前の素朴な食生活がだんだんと見られなくなってきたのも、ちょうどこの頃のような気がします。
日本の食文化が変化した原因として、まず欧米文化の強い影響を受けながら育った若い世代と年配層とのジェネレーション・ギャップ、そして個人主義に起因する家庭環境の大きな変化が考えられます。その行き着くところは価値観の転換であり、一家での団欒という昔ながらの考えよりも、むしろ夫々の都合を優先して、一人一人が食べたい物を食べたい時に食べることが、より大切であり、当たり前であるような時代の流れに変わってきたのです。例えば学生は部活で帰りが遅くなるから、夕食は簡単に外食で済ませ、父親は勤め帰りに一杯飲んでから帰宅するので食事は家では摂らず、それを見越して母親は簡単なおかずでさっさと食事を済ませてしまう、というライフスタイルが珍しくなくなってきたのです。このような家庭環境の変化が食文化に多大なる影響を与えることは明らかであり、そこに食べ物や、その食べ方まで変貌していく理由を垣間見ることができます。
また、清涼飲料水の普及が、米と野菜、魚を中心とした日本のオーソドックスな食文化に悪影響をもたらしたことも否定できません。例えばコーラなどの外資系の炭酸飲料、国産のサイダー等が特に若年層の人気を集めることにより、「美味しい水」と「温かいお茶」をこよなく愛する文化が忘れ去られ、「甘いソーダ水」を飲み干す文化に移行し始めたのです。確かに清涼飲料水は誰が飲んでも美味しく、大々的な広告キャンペーンも手伝ってか、水の代わりになる飲料水の一種と思われがちです。しかし、カロリーの高い糖質を多く含むだけでなく、様々な添加物を混在させて「色」と「味」を作りあげている訳ですから、決して体に良いわけではありません。極めつけは和食、すなわち日本元来の食べ物の味とうまくブレンドしないことです。ご飯とコーラ。考えるだけでもぞっとする方は少なくないはずです。すなわち清涼飲料水の急速な普及は、日本の食文化が洋食化、欧米化することに一役かっていたのです。
もう一つの転機は、手をかけて食事を作ることの大切さよりも、むしろ手をかけずに簡単に済ませる事を好む価値観の台頭です。60年台から急速に普及し始めたインスタント・ラーメンは、手軽に作れて安くて美味しいという評判の元に、あっという間に日本全国で人気商品と化したのです。そしていつの間にかどの家庭でも、即席ラーメンだけは買いだめするようになり、いつでも簡単にラーメンを食べることができるようになりました。40年たった今日でも、「サッポロ一番」、「チャルメラ」や「出前一丁」等、昔の広告メロディーが思い浮かぶ程、メーカーによる大々的なテレビキャンペーンは、日本社会に大きな影響を与えました。そういえば自ら生まれて始めて作った夕食が、10歳の時に鍋を火にかざして作った即席ラーメンでした。お湯を沸かして麺を放り入れ、3分程で仕上がる手軽さにちょっとした感激を覚えたものでした。
今となって考えてみれば、アメリカでファーストフードの元祖と呼ばれたマクドナルドのハンバーガーチェーン店が普及し始めた頃と時を同じくして、日本でも簡単に、手っ取り早く食べることができるインスタント食品が急激に普及し始めたのは、単なる偶然とは思えません。その世界的な「今すぐ食べる」という風潮に添って、街中にも簡単に食事を済ませることのできるお店が並び始めました。例えば東京では立ち食いそば屋が各鉄道駅周辺に立ち始め、特に男性サラリーマンと男子学生の人気を集めました。デパートの地下街には大型の立ち食い食堂が登場し、カウンター越しにオーダーすれば、何でもすぐに食べれるというスタイルが一時流行したのです。
日本国民が直面する大きな危機
日本の古き良き食文化から乖離し、より多様化していく食文化の要素を無意識に内外から取り入れてきた結果は明らかです。まず、料理を自らじっくりと仕込み、時を待って皆で美味しく食べる、という食生活の基本概念が失われつつある最中、食べたい時には我慢しないで今すぐに食べるということに対し、誰も違和感を持たなくなってきたのです。これは時間に追われる近代社会の副作用ともいえるでしょう。待たずにさっさと喰らいつく、という一種のむさぼりにも聞こえるような食生活は、どう考えても体に良い訳がありません。本来は、お腹をすかして食事の時間まで待ち、ゆっくりと咀嚼し、時間をかけて談笑しながら食べることが一番健康に良いことなのです。更なる問題は、手軽で美味しければ中身はさほど関心が無い、という風潮が広まってきたことです。その行き着くところは今日、世界的に普及している「カップヌードル」系のインスタント食品です。単に熱いお湯をかけるだけで簡単に作れるというだけでなく、食べ終わったらゴミとして捨てるだけ、という合理主義の徹底です。食材の中身と言えば、日本の食文化を微塵も感じることができない程、目もあてられません。その上、コンビニの普及と共に、全国どこでも手軽に買うことのできるおにぎりと弁当、肉まん等の普及が、本来あるべき日本の食文化の姿からますます国民を遠ざけてしまい、誰もが違和感さえ感じなくなってしまったのです。/Part2に続く
(文:中島尚彦)
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世界の片隅から
−私のラクダ−7 〜最終回〜
私のソマリアで飼っていたラクダのダアリの話も今回で終わりです。ダアリのおかげで、私は内戦下のソマリアというどうしようもない状況下で仕事をしながら、ノイローゼになることも仕事のストレスをためることもなく、楽しい生活を送ることができました。また仕事の上でも、現地の人々の信頼と協力を得るためにどれほどダアリが貢献したかわかりません。しかし、そんなダアリとも別れの日が近づいてきました。私にジュネーブでの仕事がオファーされたのです。私は真剣にダアリをジュネーブに連れて行こうと考えました。しかし当時の国連の規定によると、離任に当たっての荷物の別送品は150キロまでだったのに、ダアリの体重はすでに250キロくらいありました。どう考えても、ダアリをジュネーブへは連れて行けそうにないし、連れて行ってもレマン湖のほとりで飼うわけにもいかないだろうと考え、ダアリはソマリアに置いていくことにしました。ダアリにとってもその方がいいと思ったのです。
ベビーシッターの男には前金で半年分の給料を渡して、「お前にダアリを預けるからしっかり面倒を見てやってくれ。ダアリがもう少し大きくなったら子供を生ませて、その子はお前にあげるからどう処分してもいい。乳も生活の足しになるだろう。しかしダアリだけは売ったりしないで飼い続けて欲しい。いつの日かソマリアに平和が戻ってきたら必ずダアリに会いに戻ってくるからな。」と話してダアリの世話を頼んだのです。「平和になってバイドアの町にも観光客が来たら、ダアリの背中に乗せればきっと儲かるぞ。それまで頑張れよ。」とも言っておきました。
私がバイドアの町を去る前日、オフィスのソマリア人が集まって送別会を開いてくれました。その席で、わたしに真っ白い布でできたソマリアの服と革靴とナイフを贈ってくれて「お前は今日から人道支援のウガスだ」というのです。ウガスとは村々の村長たちの上に立つ首長のことで、ソマリアの地域社会を治めるいわゆる長老です。そんなウガスの称号をもらったのです。話はそれますが、私が知り合ったウガスのひとりは60歳くらいでしたが、子供が100人近くいるというのです。でもイスラム社会でも奥さんは4人までと決められているはずなので、子供100人は無理です。そこでその疑問を率直に尋ねたところ「なに、ひとつの村につき4人までだ。俺は20以上の村を治めているウガスだからな。こうして村を訪ねていくと、各村の村長や有力者に是非娘を奥さんにしてくれと頼まれてな。仕方がないんだ、これも。」とすまし顔でした。私がウガスに任命されたのは離任直前だったため、村長さんから依頼を受けることはありませんでしたが、もっと前だったら困っただろうなと感じた次第です。
さて、バイドアを去る日の朝、最後にダアリに一乗りして私は別れを告げました。以来10年余り、いまだにダアリとの再会は果たせていません。ずっとソマリアで内戦が続いているためです。私が住んでいたバイドアの町も他の軍閥に攻撃され、指導部が代わったと聞きました。私の友人たちやベビーシッターとダアリは無事だろうかと気がかりです。でもラクダの寿命は20-25年とききますので、ダアリも健在ならばまだまだ女ざかりで頑張っているはずです。実際、ダアリはすでに2頭の子供を生んだようだと、数年前に風の便りで聞きました。子ラクダたちと一緒に、首から私の作った身分証明書をぶら下げてソマリアの大地を歩き回っているダアリを想像すると、厳しくも楽しかった日々がなんとも切ない気持ちで思い出されます。ソマリアに平和が戻る日が近いことを祈って、「私のラクダ」、ダアリの話を終わります。次回からは、「私のカメレオン」の話を書きます。
(文:井上健)
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成田グルメNAVI 第8回
蕎麦屋の中でも美味しさ抜群!
『久呂麦』
美味しい蕎麦屋がなかなか見つからない、とお困りの方に朗報。成田界隈でも美味しい蕎麦屋は何店舗かありますが、中でも久呂麦はお奨めの筆頭。まずテーブル席と奥の座敷に分かれており、店舗内が意外に広い。それもそのはず。メニューを見ると、蕎麦の専門店でありながら、実は一品料理とお酒のメニューが充実しており、夜は居酒屋風蕎麦屋に様変わりするのです。冷たいそば・うどんは24種類、温かいものは何と28種類にも及ぶのです!お好みの天ぷらも充実し、また御膳メニューは全て蕎麦付き。日々店内で打っている手打ち蕎麦は、味、コシ共に申し分なく、蕎麦の専門店だけのことはあって実に妥協がない。出汁がしっかりと効いた蕎麦つゆは、こくがあって味わい深い。天ぷら料理も決して中途半端でなく、衣を薄めにさくっとあげた上品な仕上がりが嬉しい。夜には冷酒や焼酎を飲みながら天ぷらの一品料理をつまみ、最後に生粉打ち(10割)ざるそばで満腹という食べ方はいかがでしょう!蕎麦屋と言えばメニューが固定化された印象しかない昨今、子供連れでも良し、同僚と飲み会に利用するも良し、そして一人酒でも寂しさを感じさせないお店はそう多くはないでしょう。
総合評価:星4.5
『久呂麦』 TEL0476-28-5110
(文:中島尚彦)
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囃子詞に秘められた謎
第3章 東北民謡のルーツもヘブライ語か!
〜日本語の謎をヘブライ語で解き明かす!
北海道民謡であるソーラン節のルーツにヘブライ語秘められていたということは、少なくとも遠い昔、その地域に大陸からユダヤ民族が渡来して、日本文化の形成に一役を担ったと考えるか、もしくはヘブライ語に精通している日本の学者が日本語とヘブライ語をブレンドした唄を書いたかの、どちらかと考えられます。このヘブライ文化の影響力は北海道だけに留まらず、日本全土に広がっていました。
隣の青森県では以前からヘブライ民族の渡来が噂されており、モーセの墓やイエス・キリストの墓まであることは有名です。この墓の信憑性は疑わしくとも、ユダヤ人と何らかの関わりが無ければ、このような墓が日本に建てられる理由を見出すことができません。青森県の戸来(へらい)村もヘブライに起因しているという説があり、また八戸(はちのへ)はヘブライ語で神を意味する「ヤーヘー」が元来の呼び名ではなかったのかと、取り沙汰されています。
その青森県で唄われる民謡の中に『ナギャド・ヤラ』があります。川守田英二著の『日本の中のユダヤ』ではこの青森民謡が大きく取り上げられ、如何にしてヘブライ詩歌が日本民謡に姿を変えて土着したかが解説されています。その内容には首をかしげるようなコメントも少なくありませんが、ヘブライ語が日本民謡と囃子言葉のルーツにあるという見解においては概ね、本シリーズの主張と共通点を見出すことができます。
まずこの民謡のメインテーマとなる「ナギャド・ヤーラヨー」ですが、念頭の「ナギャド」は王子を意味する (ナギッド)です。また「ヤー」は神を意味する言葉であり、イザヤやヨシヤのように語尾に「ヤ」がつくと、神にちなんだ名前となります。すなわち「ナギャッド・ヤ」は「神の子」を意味します。次に「ラ」ですが、これは (raah)そのままの発音で「見る」を意味します。ヘブライ語ではこの「見る」という言葉の中に「啓示を受ける」、「ビジョンが与えられる」、「自分から求めて学ぶ」という宗教的なニュアンスも含まれています。最後の「ヨー」は神の「ヤ」が訛ったものでしょう。すると「ラヨー」は、「神を見よ!」になります。つまり二つの「ヤ」が神を強調する役目を果たし、「ナギャド・ヤラヨ」は「神の子、その神を見よ!」というメッセージになります。
次は「ナギャド・ナサレ・ダーデ・サーイェ」です。ナギャドは「王子」を意味するので、文字通り読めば「ナザレ、ダビデの子」に関する記述であることがわかります。また「サーイェ」は
(saeer)そのままの発音でヘブライ語の雄ヤギを意味するだけでなく、 (laazazel)という言葉と繋がってスケープゴート、すなわち「身代わり」という意味になります。それ故、ここでは「身代わり」の略称として用いられ、「身代りになったダビデの子、ナザレのイエス・キリスト」のことを唄っているのではないかと考えられます。勿論、身代りというのは十字架による死を意味しています。
最後に「ナギャド・イウド・ヤーラヨー」ですが、この中間にある言葉は (イフッド)とほぼ同じ発音であり、神の民であるユダヤ人を意味します。すると、このフレーズは「ユダヤの子孫である神の子を見よ!」と理解できることがわかります。この青森民謡から、戸来村のイエスキリストの墓と何らかの関連があるように思えますが、真相は秘められたままです。
(文:中島尚彦)
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かもねぎの
COME ON MUSIC ! ! 49
シルクロードの楽器たち
先日南ロシアに位置するアゼルバイジャンという国に演奏に行きました。アゼルバイジャンはゾロアスター教の聖地で、またシルクロードの重要な拠点のひとつでした。ともなれば楽器も面白いものがきっとあるはずとまたまた探し出してきました。
ズルナー
トランペットにリードがついたようなものです。おそらく中国のチャルメラやオーボエの先祖のような楽器だと思われます。日本の正倉院に似たような楽器があったので結構歴史が古いものではないでしょうか。木製で作りも割りときれいですが、吹くのが大変難しくまだ音が出せません。いったいどんな音がするんだろう??
バラバン
アゼルバイジャンの楽器で、クラリネットに近い低めの音色です。民族音楽のほかシンセサイザーの打ち込みと一緒にジャズ的なアプローチで演奏されている、人気の高い楽器です。
ガバル
内側に多数の輪っかがついた大型のタンバリンのような打楽器で、両手でたたきます。結婚式のダンスなどで用いられます。
ナガラ
コーカサス全般で使われている太鼓で、チェチェンの民族舞踊「レズギンカ」では欠かせない楽器です。写真のものはダゲスタン製ですが、さまざまな国で作られておりサイズも豊富です。どことなく日本の桶太鼓に似ているような気もします。
そのほかにも、以前紹介した弦楽器のサズなども楽器店に並んでいましたが、いずれも現代の楽器に通ずる構造や音でした。世界各地に伝えられたシルクロードの楽器から、悠久の時に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?こうした楽器との出会いも含め貴重な旅でした。
NCJのサイトで実際に演奏していますのでぜひ聴いて下さい。
http://www.naritacity.com/journal/kamonegi/journal_kamonegi_060315.asp
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とってもロハスなアンチエイジング
同志社大学アンチエイジングリーサーチセンター教授 米井嘉一
第4回 〜食育としてのマクロビオティック その1〜
今回はロハスの食育としてマクロビオティックをとりあげます。マクロビオティックとは、食育に限って言えば、汚染されない穀類・野菜・海草を食べ、伝統的な方法で作られた味噌・醤油・塩を使い、良く噛み、腹八分だけおいしくいただくといった正しい食生活を目指すことです。そこには、宇宙の秩序と自然の法則とが調和する生活を営むことによって、人間性の進化を目指すという精神文化が基盤にあります。
「マクロビオティック健康法〜正食のすすめ〜」(久司道夫著)を読むと、食育以外にも、独自の宇宙論、生命エネルギー理論が展開されていますが、精神については「病は気から、老化も気から」の一言でほとんどカバーすることができます。
食事摂取カロリーは年齢や性別等によって異なりますが、腹八分を良く噛んで(一口50噛み以上、病気の時は100噛み)食べれば調度良いと説いています。医学的には標準体重60kgの人で1600〜2200カロリーになります。回数は1日2〜3回、就寝前3時間は避けるようにします。植物性食材と動物性食材の比率は7:1に保ち、主食は精白しない穀類が理想です。玄米は栄養たっぷりの理想的な主食ですが、良く噛まないと消化不良や異常発酵をきたし、有機肥料栽培で特別に管理された玄米を選ばないと農薬汚染の影響を受けてしまいます。その他、調味料は自然なものを使う、ミネラルバランスを考える、同じ調理法・食材を繰り返さない、化学調味料・色素・保存剤などの食品添加物を避けるなどの注意があります。マクロビオティックを誤った形で実践すると、蛋白質摂取量が不足する恐れがあります。ごく少量の肉・魚・乳製品と、豆類・穀類のすべてに含まれる蛋白量が、70歳以上者でも70g以上、70歳以下では80〜100gとなるように摂取した方がよいでしょう。自然の摂理の観点からは、季節のもの、旬のもの、その土地のものを食べることが基本です。旬の野菜の方が季節はずれの野菜よりもビタミンが豊富に含まれています。
米井嘉一氏 著書紹介
医学・獣医学の進歩に加えて飼い主の知識の向上により、ペットたちも長寿・高齢化が進んでいます。愛犬も大事な家族の一員。ずっとずっと一緒にいたい。それも、できるだけ元気でいて欲しいものです。しかし実際には、イヌは人間の5倍くらいのスピードで歳を取りますので、6〜7歳頃からそろそろ老化の兆しがあらわれます。その老化を防ぐ良い方法が、アンチエイジング・メディスン(抗加齢医学)です。
本書では、アンチエイジングの第一人者が、飼い犬を若々しく元気で長生きさせるための飼い方のポイントを具体的に紹介していきます。
「愛犬を元気で長生きさせる育て方 〜ワンちゃんのためのアンチエイジング〜」
PHP研究所/2006年1月23日発売 定価1,260円(税込)
著者プロフィール:米井 嘉一(よねい よしかず)
1958年東京生まれ。慶應義塾大学医学部卒。
日本鋼管病院内科・人間ドック脳室長を経て、現在、同志社大学アンチエイジングリサーチセンター教授、(株)サウンドハウス産業医。
Anti-Aging Medicine (抗加齢医学)の伝道師としてテレビ、ラジオ、雑誌等で活動中。
(http://www.yonei-labo.com/)
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未病を治す 横山瑞生
第17回
自分の健康は自分で守る
東洋医学では「風」という文字の表わす意味には幾つもの趣きがあって面白いものです。
風を漢和辞典で調べてみると、「かぜ−ゆれ動く空氣の流れ」という説明文を見ることができます。地球の公転と自転の変化の中で、空氣の流れも変化を来すことは周知の通りです。が、この風の派生義を尋ねると、多様な用例に突き当ります。「慣習−ならわし・風習・風俗」、「おもむき・風雅・風流・風情・英国風」、「なりふり・風貌・風采」、「自然のけしき・風光・風景」、「なびかせること・風教・風靡」、「かぜのように、それと伝わること・うわさ・風聞・風評」、「風刺・風喩、わずらう・風邪・中風」、さらには風土、風潮、風格、風雅と、枚挙に暇がない程です。
少し回り路をしましたが、風の熟語が派生義を通して多方位に豊かに使われていることを先ず知って欲しかったのです。そしてもう一つ重要な事柄を紹介したいと思います。
西周時代から戦国時代に書き継がれたといわれる歴史書『書経』の中に「馬牛其風−馬牛ソレ風ス」。という文が見られます。また『左伝』に「風馬牛不相及−風スル馬牛ハ相ヒ及バズ」との記載があります。ここで言う「風」とは「発情する、さかりがつく」という意味です。
風という字は「大鳥の姿」を表わし、鳳と同じ原字だといわれています。鳳は「大鳥が羽ばたいてゆれ動くさま」を示しており、中国では鳳は風の使いと考えられています。のちに凡+虫から風という文字が作字されました。凡は広く張った帆の象形。凧も同じ作字法から生まれたといっていいでしょう。
虫は"むし"と読み、毛虫や青虫のようなむしを現在は表わしていますが、造字された古代中国では動物全般を指していました。二十四節の一つに「啓蟄」がありますね。春を感じて冬ごもりをしていた生き物が目覚めて這い出すことです。牛馬もまた春を感じて繁殖の期を迎えるのです。
このように生物は風の恩恵を受けて、種の増殖と保存という営みが永々と衛営されているのです。植物は風の作用に与って受粉を行ない、動物もまた風の便りで盛りを迎える。性フェロモンを運ぶには、実に空氣の移動−風が介在していることが分かります。風は単に空氣の移動・流れだけではなく、生物を育む力を有しているのです。むべなるかな、むべなるかな。
PROFILE
横山 瑞生
(よこやま ずいしょう)
1939年
茨城県常陸大宮市に生れる。
1964年
東京高等鍼灸学校卒業、在学中から大塚敬節氏に師事し漢方を学ぶ、後小川晴通氏に師事し鍼灸を学ぶ。
1971年
中国医学研究協会設立に参画。
1973年
中華医学会の招聘で訪中、鍼麻酔、耳鍼療法学など我国に最初に紹介した1人。現在、日本東洋医学会会員、日中医療普及協会会長、新宿鍼灸師会会長、日本ホリスティック医学協会常任理事、一本堂鍼灸療院院長などの傍ら国内外の後進の指導に当たる。
著訳書
『カラー版鍼灸解剖図』『最新中医針灸穴位掛図』『針灸経穴辞典』『針灸寄穴辞典』『アレルギーはツボで治る』『耳針療法掛図』ほか多数。
連絡先
東京都新宿区本塩町10 四谷エースビル101
一本堂横山鍼灸療院 電話 03(3359)6693
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くらしを考える 第22回
介護保険
-制度見直しで変わったこと-
日本は世界一の長寿国ですが、高齢者の割合は日本の総人口の約20%、なんと5人に1人はお年寄りという高齢社会でもあります。元気で長生きを願っても、実際は寝たきりや認知症などで、何らかの介護を必要とするお年寄りの数も増えてきています。介護は長期化、病気は重度化し、介護する家族の年令も高齢化という「老老介護」の時代に入っています。
2000年4月に介護保険が導入され、私たちの生活や福祉を変えました。特に今までの「福祉のお世話になる」という抵抗感が「福祉サービスを受けるのは当然の権利」という意識に変わりつつあります。外部サービスの利用に対する抵抗で、長い間女性、とりわけ嫁への介護負担が強いられてきましたが、近頃は「介護は家族が行うもの」と言う概念が弱まってきています。実際に介護保険を利用している人たちからは、「家族の負担が軽くなった」という声が聞かれます。
しかし、このままでは膨らむ一方の介護給付費を抑制し制度の持続性を高めることが急務と考えた政府は、2005年に制度の見直しをはかり大幅な改正を行なったのです。このためすでに昨年10月から施設の居住費、食費は自己負担となり、保険対象者拡大(第2号被保険者を今の40歳から20歳にする)は先送りとなりました。また、厚労省は予防重視型システムへの転換ということで介護予防に重点を置き、軽度の要支援者や要介護者を対象にして、筋肉トレーニングや栄養改善指導などの介護予防サービスを地域支援事業として創設することにしました。この4月からは、介護生活者にならないための予防教室や運動指導が、各市で行われることでしょう。これらの教室に積極的に参加して、明るく活力ある超高齢化社会を元気に生きていきたいものです。
消費生活コンサルタント 桐原照子